著者
堀野 一男
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
日本土木史研究発表会論文集 (ISSN:09134107)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.173-180, 1989-06-20 (Released:2010-06-15)
参考文献数
14

能代港は米代川の河口港として、古来から海上交通の重要な港としての位置をしめていた。とくに、足利中期から江戸時代にかけては、米、木材などの移出港として、また、松前および北陸地方からの塩、毘布等の物品受け入れ港として栄えた。しかし、米代川から運び込まれる多量の流砂と河口をとりまく砂丘からの飛砂、それに漂砂などの影響によって河口が狭められ、とくに冬季間は河口閉塞に近い状態になった。そのため長い間にわたって凌せつ普請、砂防林の植栽などの努力が続けられてきた。このような河口港の宿命から抜け出すために昭和39年(1964)には河港分離の方向が打ち出され外港工事にとりかかった。日本海沿岸の港の多くは歴史も古くいずれも河口港で始まっているが、それまでの、河口港を振り切って行われた新潟東港築港、それ以前の苫小牧築港、田子の浦港などの掘り込み港の技術的な成功を足がかりとして港湾の建設は大きく進んだ。つまり、能代港築港は戦後の港湾築港技術の進展とも関連していた。本研究はこのような河口港としての発展、停滞、そしてそれからの脱皮としての新港建設、という歴史を辿った能代港の変遷から港湾計画、地域経済上の現代的な教訓を引き出すことを目的としている