- 著者
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塚本 啓祥
- 出版者
- 日本印度学仏教学会
- 雑誌
- 印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
- 巻号頁・発行日
- vol.54, no.3, pp.1113-1120, 2006-03-25
1992年ルンビニー関発トラスト(Lumbini Development Trust)の要請によって財団法人・全日本仏教会は,マヤ堂修復計画に着手し,1993年から10年に亙って調査・発掘を実施した.その間に発掘の結果,1995年にマヤ堂の中心部の真下から「自然石」が発見された.これはアショーカ王が石柱建立の際に,釈迦牟尼世尊の生誕地を示す標識として埋置させたものと推定されている.発表者は「自然石」の発見に伴い,マヤ堂・石柱等の一連の寺院複合体の建立の背景と経緯を考慮して,刻文の再考を必要と考えるに至った.よって本論においては,従来の当該刻文の研究史を検討して,その問題点の推移を明らかにし,法勅と自然石の関連,及びその整合性を解明することを目的とする.これにより法勅は,天愛喜見王は,灌頂〔即位〕20年に,自ら〔ここに〕来て崇敬した.「ここで仏陀・釈迦牟尼が生誕された」と〔伝えられる〕自然石を〔保護する〕柵(または壁)を伴った〔建造物を〕設営せしめ,また石柱を建立せしめた.ここで世尊が生誕された故に,ルンビニー村は租税を免ぜられ,また〔生産の〕1/8を支払う(六分税から八分税への減税)ものとせられる.と修正される.その論拠として,法勅中の複合語silavigadabhicaを, sila'vigada- <sila + avigada- <Skt. sila + avikrta-; -bhica = bhicca<bhi(t)tya = bhittya (ins.sg.f.) <Skt. bhitti-の派生語とみなすことを推定した.これはマヤ堂出土の自然石(印石)と共に,歴史的背景を論証する補完的証跡となる.