著者
多和田 真理子
出版者
日本教育方法学会
雑誌
教育方法学研究 : 日本教育方法学会紀要 (ISSN:03859746)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.83-94, 2003-03-31

本稿の目的は,上田万年の『作文教授法』(1895年)を素材に,言語と教育の結びつきを検討することにより,上田が明治期の小学校における作文教育に付与しようとしていた役割を論じることである。上田は「普通教育」と「国語」という2つの概念の関わりにおいて「作文教授」を構想していた。上田は「普通教育」に,「社会」における「人民の教育」と,「国家」における「国民教育」という,2つの側面を見出していた。それは「国語」がもつ2つの側面,すなわち「社会」の変化に応じて改良可能な「道具」としての面と,「国民」に与えられるべき固定的な「道具」としての面とに相互に関係していた。小学校の作文教育に対して上田が提起した新しい観点は,第1に,従来の教養に価値を認めず,かわりに<思想→言葉→文字>の変換に価値をおくということである。第2に,「言葉」や「文体」の多様性を認め,他者の「言葉」を聴き,「文章」を読むことによって他者の存在を認識することである。だがそれらは,上田が提起した第3の点,すなわち言語に一定の「標準」を求め,その「標準」に近づく階梯と子どもの「心理発達」とを結びつけ学校教育の段階として位置づけることにつながった。言語の共有という上田の理念が,「作文教授」論をつうじて,言語の標準化へと結びついたのであった。