著者
片田 真之輔 大川 ヘナン なかだ こうじえんりけ
出版者
国立大学法人 大阪大学大学院人間科学研究科附属未来共創センター
雑誌
未来共創 (ISSN:24358010)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.145-175, 2021 (Released:2021-07-08)

本稿は、共生や共創という一見ポジティヴな言葉に関して、その語の現行の用いられ方に対する違和感やフラストレーションをあえて前面に押し出しつつ、協働的エスノグラフィーという手法を用いた多角的かつ批判的な検討を試みる。 第一に大川は、“ 在日ブラジル人 ” という当事者の視点から、一般社会や研究の世界おける現在の共生の在り方が、“ 強者のため共生 ” にとどまり、“ 当事者のための共生 ” にはなっていないことを示す。また、学術的な場において当事者と見なされるためにはマジョリティの考える条件が必要であるという問題を指摘する。 第二に片田は、“ 教育制度や選抜に翻弄された ” 経験をもつ者として、未来共生プログラムの選抜試験、共生を素直に語れる場が変容していく過程を通じて、現在の学術的な共生や共創の前提には、その語の意味に反して “ 制度的優生思想 ” と呼ぶべき問題が存在しているのではないかという問いを提示する。 第三になかだは、対話イベント内の際の当事者性を抑圧するようなコメントを契機として、“ ポリグロットうちなーんちゅ・クィアフェミニスト ” という立場から、マイノリティや問題の当事者が安心して声を挙げる環境を保障することの難しさを論じた。 本稿での検討により、次の 2 点、1. マイノリティや各種問題の当事者の声を聴くこと、2. 社会的なマジョリティやいわゆる専門家の前提の内にある無意識の特権性への自覚を通してはじめて、共生社会を共に創る可能性が開かれるのではないかと結論づける。