著者
大辻 新恭 小田 伸午
出版者
関西大学大学院人間健康研究科院生協議会
雑誌
人間健康研究科論集 (ISSN:24338699)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.59-73, 2019

柔道は古来の武術と競技スポーツという二つの側面が保持されていたはずであったが、その普及に伴い柔道の競技的側面が肥大化した。その結果、現代柔道にはその指導理念、指導方法において武術性という視点とその応用が欠落していったのではないかと考えられる。そこで、本研究では、現代柔道における武術性の意味を、当身技に焦点を当て、それが武術性からこれまでどのように解釈され、扱われてきたのかを明らかにしたうえで、学校教育にどのように導入すべきかを提案することを目的とした。その結果、柔道における武術性は技術の捉え方をめぐる問題が存在すると考える。嘉納治五郎は柔術のとりわけ殺傷性が高い当身技といった技術を形で学ぶことで、安全性を確保しながらも、武術性を社会生活につながるための精神修養として捉え、教育としての柔道を確立しようとしたことにある。一方で、現代柔道に受け継がれた武術性は、特に学校管理下における教育としてその道徳的価値ばかり強調される。このことは、学校体育で武道が必修化された背景において、日本における伝統文化として武道を学ぶところに教育的意味があると考えられているからであろう。上記を踏まえて、当身技を形として中学校体育における柔道に取り込むことによって、現代では失われつつある柔道における武術性を学習することが可能になると考察した。