著者
安 天
出版者
東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻
雑誌
言語情報科学 (ISSN:13478931)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.143-159, 2012-03-01

日本の批評における「他者」概念は、江藤淳の『夏目漱石』でその誕生を目撃することができる。本稿の目的は『夏目漱石』の論理構造の解明を通して -- (1)テクストのなかで「他者」概念が同書の他の主な概念とどのような関係を結んでおり、全体的な関係の網目のなかでどこに位置づけられているのかをあらわにすること。(2)テクストにおける論理展開に注目し、その展開から江藤の思考に見られる特徴を浮き彫りにすること -- この二点である。結論として、江藤は人の価値観を形づくり、世界を眺める視点を構成していく観念として「近代」「小説」「士君子的知識人」「自然」などを取り上げ、これらを「現実」を覆い隠し、「現実」を不可視にする虚構、言い換えれば認識を構成的に制限する知的装置として捉える一方、これらを取り除いた末にたどり着いた「現実」の地平において現れた不透明で、輪郭も定まらず、理解を拒む他人を、「他者」という言葉で概念化した -- という読解を提示する。