- 著者
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安士 昌一郎
- 出版者
- 法政大学イノベーション・マネジメント研究センター
- 雑誌
- イノベーション・マネジメント (ISSN:13492233)
- 巻号頁・発行日
- vol.18, pp.125-140, 2021-03-31 (Released:2021-03-31)
- 参考文献数
- 29
本稿は、道修町の薬業者の活動を通して1870年代~1910年代における大阪薬業界の変遷を考察する。業界発展の一要素として先進的な経営者の存在が挙げられる。そして道修町はその典型的な地域であったため、当該地域を考察対象とした。医薬品産業は研究開発型産業の代表であり、明治・大正期にその礎が築かれた。政府は医薬制度の基盤に西洋医療を採用し、それを普及させる為の施策を行った。使用される西洋薬品は高額でかつ輸入に頼らざるを得ず、供給の不安定さを抱えていた。大阪の薬業者も業態を変化させて環境への適応を試みた。その中で少数の業者が西洋薬品の輸入をいち早く手がけ、環境の変化に反応して製薬企業に成長し、業界の発展に貢献した。彼らの活動には教育機関の創立や、共同出資による企業設立も含まれている。また第一次世界大戦の勃発はドイツからの医薬品輸入を途絶させ、市場は大混乱に陥った。政府は輸出規制および製薬事業の保護助成政策を打ち出したが、この決定には大阪の薬業者の関与があった。社史、業界誌等の分析により、彼らが医薬品産業の発達に貢献した過程を明らかにしている。