- 著者
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安徳 勝憲
- 出版者
- 長崎国際大学
- 雑誌
- 長崎国際大学論叢 = Nagasaki International University Review (ISSN:13464094)
- 巻号頁・発行日
- vol.20, pp.21-31, 2020-03
松下電器産業(現パナソニック)創業者松下幸之助(以下幸之助)は、戦後復興途上の昭和26年に市場調査のため訪米した。滞在中に多くの工場を視察した幸之助は、自社も含めた日本の製造業の遅れを痛感せざるを得なかった。3か月後、幸之助は日本の素晴らしい景観を生かしたインバウンド観光の振興こそが戦後復興の鍵ではないかとの考えを携えて帰国した。そして『文藝春秋』昭和29年(1954)5月号に発表した「観光立国の辨」において、①観光省を新設し、観光大臣を任命して、この大臣を総理、副総理に次ぐ重要ポストに置く、②国民に観光に対する強い自覚を促す、③各国に観光大使を送って、大いに宣伝啓蒙する、そして④いくつかの国立大学を観光大学に改編して観光ガイドを養成するといった具体的なインバウンド観光振興策を提言したのである。同年の外国人入国者数がわずか5万人足らずであったことを勘案すれば、幸之助の先見の明に驚かされる。その後も、工場立地による瀬戸内海景観の棄損に警鐘を鳴らすなど、幸之助は松下電器産業経営の傍ら、国内観光資源の維持の大事さを訴え続けた。本稿は、幸之助が「観光立国の辨」を発表するに至った軌跡をたどるとともに、「経営の神様」という呼び名にふさわしい厳密なソロバン勘定と緻密な論理の組み立て方を紹介するものである。没後平成24年(2012)、日本の観光振興へ多大な貢献をしたとして、幸之助は観光庁長官表彰を受賞している。