著者
安田 徹也
出版者
建築史学会
雑誌
建築史学 (ISSN:02892839)
巻号頁・発行日
vol.63, pp.66-94, 2014 (Released:2018-08-17)
著者
安田 徹也
出版者
公益財団法人 竹中大工道具館
雑誌
竹中大工道具館研究紀要 (ISSN:09153685)
巻号頁・発行日
vol.32, pp.53-81, 2021 (Released:2021-03-22)
参考文献数
5

本稿は宮野裕光氏が書き残した鋸に関する資料を翻刻したものである。 1. 宮野裕光氏(1923〜93)は二代目宮野鉄之助(1901〜96)の長男として生まれ、その下で修業を積んで鋸鍛冶として活躍した。また1961年から神戸市六甲道で大工道具店を営み、大工道具全般についても幅広い知見を持っていた。 2. 宮野氏の書き残した文章および挿図には、他には見ることのできない鋸、および鍛冶技術に関する情報が多数含まれている。
著者
安田 徹也
出版者
公益財団法人 竹中大工道具館
雑誌
竹中大工道具館研究紀要 (ISSN:09153685)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.3-41, 2018 (Released:2021-03-20)
参考文献数
61

本稿では主に戦前までの文献を対象とし、魯般尺に関する記述の変遷を追った。その概要は下記のとおりである。 1. 最古の文献は中国宋代の『事林廣記』、それに次ぐのが元代の『居家必用』である。何れも1尺2寸を八等分し「財病離義官刧害吉」の八文字を配当する、現在と同形式の魯般尺を載せており、これが日本の魯般尺のルーツとなったと思われる。 2. 魯般尺の記述のある大雑書が17世紀後期から多数出版されており、これが日本の魯般尺のもう一つのルーツとなった。18世紀中期には八文字の順序を「刧病離官財義吉害」とする文献も現れた。 3. 18世紀末から盛んに出版された家相書にも魯般尺の記述が見られる。天保11年(1840)には9寸6分を八等分する新しい形式の魯般尺が現れた。 4. しかし多くの場合、魯般尺の記述は具体性に欠け、実際の建物の設計にどの程度使用されたかは分らない。
著者
安田 徹也
出版者
公益財団法人 竹中大工道具館
雑誌
竹中大工道具館研究紀要 (ISSN:09153685)
巻号頁・発行日
vol.31, pp.53-90, 2020 (Released:2021-03-20)
参考文献数
12

本稿では海軍技師・建築家の吉野直吉の足跡を追った。その概要は下記の通りである。 1. 吉野直吉は明治2年(1869)に生まれ、大工としての修業を経て明治33年(1900)から大正7年(1918)にかけて海軍の技術者として活躍した。 2. 1920年代から1940年代にかけて東京や川崎で堂宮建築の設計を行っている。主な作品に氷川神社社殿、玉川神社社殿、千束八幡神社などがある。 3. 竹中大工道具館では吉野直吉の突鑿、短刀、儀式装束一式、縮尺竹尺を所蔵している。このうち短刀は明治3年(1870)11月に七代目石堂是一が作ったものである。また儀式装束は昭和13年(1938)の玉川神社拝殿立柱式で使用されていることが古写真により判明した。