著者
坂本 忠規
出版者
公益財団法人 竹中大工道具館
雑誌
竹中大工道具館研究紀要 (ISSN:09153685)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.17-45, 2012 (Released:2021-03-20)
参考文献数
17

新潟県三条における木製墨壺の生産について、残り少なくなった職人への聞き取りと関連資料の調査をもとに整理した結果、次の成果を得た。 1 三条で用いられている墨壺の類型と各部名称を整理した。 2 墨壺の製作技法について、写真を交えた工程の記録を作成した。 3 明治中頃から三条に興隆した墨壺生産について、現在に至るまでの発達史をまとめた。

9 0 0 0 OA 墨縄と墨壷

著者
沖本 弘
出版者
公益財団法人 竹中大工道具館
雑誌
竹中大工道具館研究紀要 (ISSN:09153685)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.59-77, 2002 (Released:2022-01-31)
参考文献数
25

線引き道具として使われる墨壺は、線引きための糸を巻取る部分と糸にインクを付着させる壺の部分を一体化した道具である。現代でも中国、朝鮮半島、日本など東アジアに特徴的にみられる道具である。主として中国、日本の墨壺について歴史的な資料として文字、絵画を調べ、近現代の実物の形をもとに比較考察を行った。 中国では、文字資料から線引き道具の出現は紀元前5~3世紀である。この文字から墨壺の形をしていたか明らかでない。墨壺の文字があらわれるのは唐代に入ってからである。日本でもロープだけと推定される墨縄という文字が最初に出現し平安時代に墨壺の文字が出現する。 日本では8世紀のものとされる墨壺が出土している。形はでここに糸車を保持するようになっている。「尻割れ形」は江戸時代中頃まで踏襲されたようである。江戸中期以降には形が多様化している。中国では元代以前の墨壺は発見されてないが、明、清代には形は多様化していたようである。尻割れ形は中国の内陸部大理で使われていた。
著者
坂本 忠規 鎌田 正彦
出版者
公益財団法人 竹中大工道具館
雑誌
竹中大工道具館研究紀要 (ISSN:09153685)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.21-39, 2017 (Released:2021-03-20)
参考文献数
17

本稿は新出資料である「普請下絵図畳板」に含まれている畳板と製図道具について、それぞれ資料紹介と評価を行い、あわせて近世的な製図技法と道具について考察を加えたものである。要点は次のとおりである。 1. 畳板は畳の縮尺1/20の模型で、大規模屋敷の平面計画に用いられたと考えられる。これまで紙製のものが知られていたが、本資料は木製でありかつ壁・敷居の位置を示す敷棒まで含まれており、貴重である。 2. 6点の製図道具はそれぞれ添軸、図引、突針の三種に分類され古様を残している。添軸とは毛筆と合わせて用いる製図補助具であり戦後まで一部の大工の間で使用されていた。図引は現在でいうところの烏口に相当する道具であることがわかった。 3. 本資料の使用年代は早ければ17世紀まで遡る可能性があるものの、製図道具の発達状況から勘案して19世紀前半頃、遅くても明治初期頃と推測した。
著者
中島 徹也
出版者
公益財団法人 竹中大工道具館
雑誌
竹中大工道具館研究紀要 (ISSN:09153685)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.45-101, 2023-03-20 (Released:2023-03-20)
参考文献数
20

本稿は明治時代から大正、昭和にかけて活躍した大阪の大工道具鍛冶一門「善作」を調査したものである。主な内容は次の通り。 1. 「 善作」には言い伝えや伝説は多数あるが、正確な情報に基づく考察はこれまで無かった。そこで、竹中大工道具館が所蔵する善作の資料や一般書籍に掲載されている記事はもちろん、大工や木工家、道具商などがこれまで個人で調査された情報も加味し、現時点で善作について分かっていることをまとめた。 2. 初代から三代に至る善作の経歴を明らかにした。 3. 三代目善作の疎開先について関係者の証言を得ることができた。 4. 作品の判断基準を示し、現時点で把握している作品と刻印を一覧表にまとめた。
著者
坂本 忠規 中川 武 中沢 信一郎 林 英昭 レ ヴィンアン
出版者
公益財団法人 竹中大工道具館
雑誌
竹中大工道具館研究紀要 (ISSN:09153685)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.37-76, 2009 (Released:2021-03-22)
参考文献数
26

1 本稿は2007年9月および12月に実施したベトナム北部ハナム省・中部トゥアティエンフエ省・中南部ニントゥアン省における伝統木造建築と大工道具に関する調査結果の一部を報告したものである。 2 調査地域の伝統木造建築に代表されるようにベトナムの木造建築は中国の影響下にありつつも登り梁を用いた独自の架構形式や細部意匠を持つ。また北部の梁を重ねる小屋組に対し、中部や南部では真束式とするなど、北部と中・南部で構造技法が大きく異なる。 3 特徴的な架構は設計の道具にも影響を与えており、大矩や腋尺など独特な道具の使用を見ることができる。また木槌やT 字型斧の使用など中国や他の東南アジア地域では見られない独自の道具の使い方が確認された。
著者
船曳 悦子
出版者
公益財団法人 竹中大工道具館
雑誌
竹中大工道具館研究紀要 (ISSN:09153685)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.49-59, 2010 (Released:2021-03-22)
参考文献数
24

本稿では、文献資料と古写真、及び実物資料の分析を通して、両刃鋸の発達の経緯について以下の内容を明らかにした。 1 明治10 年の時点では、東京において鋸の先が二つに割れた細工鋸の形状の両刃鋸を文献で確認できた。 2 明治前期には、出現していたと推定できる両刃鋸は、鋸用鋼材としての玉鋼を使用していることを実物で確認した。 3 両刃鋸は明治35 年には商店で購入可能であった。 4 明治期と推定される写真には両刃鋸の使用は見られない。 5 両刃鋸の普及の背景には、鋸用鋼材としての洋鋼( 東郷鋼) と製作技術として油焼入れの一般化、そして利便性への追求があった。
著者
李 暉
出版者
公益財団法人 竹中大工道具館
雑誌
竹中大工道具館研究紀要 (ISSN:09153685)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.95-138, 2014 (Released:2021-03-20)
参考文献数
56

本稿は、中国北京故宮の修繕組織である「古建修繕中心」に所属する大工が用いる大工道具に関する調査成果を報告するものである。主な内容は、以下の3点に要約できる。 1 中国の大工道具に関する先行研究を整理・分析し、標準編成の提示が最も喫緊の課題であると判断した。その端緒として古建修繕中心における大工道具の標準編成を調査した。 2 標準編成とみなす道具は、全体で54種類72点である。このうち〈刨〉(鉋)が最も種類が多く11種類17点、ついで〈量具〉(定規類)10種類16点、〈鋸〉(鋸)7種類7点、〈鑿〉(鑿)4種類10点である。 3 北京近郊の大工と異なり、北京故宮の修繕組織においては、〈麻葉頭〉という清代組物の木鼻の形をした〈墨斗〉(墨壺)や大型の〈工作台〉(作業台)を用いるという特色がある。
著者
安田 徹也
出版者
公益財団法人 竹中大工道具館
雑誌
竹中大工道具館研究紀要 (ISSN:09153685)
巻号頁・発行日
vol.32, pp.53-81, 2021 (Released:2021-03-22)
参考文献数
5

本稿は宮野裕光氏が書き残した鋸に関する資料を翻刻したものである。 1. 宮野裕光氏(1923〜93)は二代目宮野鉄之助(1901〜96)の長男として生まれ、その下で修業を積んで鋸鍛冶として活躍した。また1961年から神戸市六甲道で大工道具店を営み、大工道具全般についても幅広い知見を持っていた。 2. 宮野氏の書き残した文章および挿図には、他には見ることのできない鋸、および鍛冶技術に関する情報が多数含まれている。
著者
石社 修一
出版者
公益財団法人 竹中大工道具館
雑誌
竹中大工道具館研究紀要 (ISSN:09153685)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.3-68, 2014 (Released:2021-03-20)
参考文献数
18

本稿は、越後与板の鑿鍛冶である船津祐司の鍛冶技法を記録したものである。船津は[舟弘]銘で全国の一流の大工職人から高い評価を得ている。船津の仕事は、大工道具産地の与板での伝統的な技法と合理的な技法の上に、科 学的な研究を積み重ねたものである。 本調査では、12日間の日常通りの作業工程を記録した。また同じく鍛冶を職業とする調査が詳細に記録を試みた。以下に調査結果の概要をまとめる。 1 鋼は白紙1号の中でも高炭素のものを好んで用いる。その火造りは、コークス炉での鍛接・鍛造の後に、電気炉で4回にわたり段階的に加熱温度を下げながら繰り返す丁寧な鍛錬で、金属組織を微細化している。 2 整形作業は、グラインダーとペーパーバフを効率的にこなす。その一方で、最後はセン床にあぐらをかき、鑢がけを行う鑿鍛冶の昔からの流儀で仕上げる。 3 松炭を用いた焼入れは、暗闇の中で行う。幅寸法の異なる、鑿の1分から1寸4分までの全てが均一に赤められ焼入れされた、まさに熟練の技術といえる。焼戻しは、電気を熱源とした油もどしで行う。 4 3週間の調査期間中に焼入れされた製品は、大入鑿43本・叩鑿など5本・小鉋1枚・平鉋3枚の合計52点であった。 5 鑿鍛冶の枠にとらわれず、鉋など幅広く大工道具を手掛けている。その鍛冶技法は、師である碓氷健吾の科学的データを蓄積した知見に、自らの実証実験からの経験を重ねたものである。本稿は船津65歳という円熟期の記録だが、大工との技術研究から更なる改良をも続けている。
著者
渡邉 晶
出版者
公益財団法人 竹中大工道具館
雑誌
竹中大工道具館研究紀要 (ISSN:09153685)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.1-66, 2001 (Released:2022-01-31)
参考文献数
120

弥生・古墳時代の遺跡から出土した建築部材と鉄製道具を調査した結果、次のように要約できる。 (1) わが国の主要建築用材の中で、弥生・古墳時代に多く利用されていたのは、スギ・ヒノキ・クリなどであった。 (2) 木を材料とする建築を構成する部材は、樹種の特徴に応じて、適材適所に使われていた。 (3) 弥生・古墳時代の建築部材接合の加工技術は、縄文時代の技術を継承したものと推定される。 (4) 弥生・古墳時代において伐木、製材、部材加工の各段階で使用される道具編成は、縄文時代の編成を継承したものと考えられる。 (5) 弥生時代の鉄製斧は切断用縦斧と横斧に、古墳時代の鉄製斧は切断用縦斧・切削用縦斧・横斧に、それぞれ機能分化していたと推定される。 (6) 弥生・古墳時代の鉄製鑿は、斧身を利用した大型鑿、荒加工用の鑿、仕上切削用の鑿に機能分化していたと考えられる。 (7) 弥生・古墳時代の建築用主要道具の編成は、鉄製斧と鉄製鑿であったと推定される。

1 0 0 0 OA 鉋の切れ味

著者
石社 修一 阿保 昭則 土田 昇
出版者
公益財団法人 竹中大工道具館
雑誌
竹中大工道具館研究紀要 (ISSN:09153685)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.3-48, 2010 (Released:2021-03-22)
参考文献数
11

鉋の⌈切れ味⌉について、下記の知見を得た。 (1) 鍛え焼入れを同様に行って金属組織が合格品質のものでも、焼き戻しの設定で削り試験の結果に明確な差が生まれ、鉋の評価も差が付いた。 (2) 大工が鉋の切れ味を表現する際に用いる⌈甘切れ⌉という言葉について、杉や檜における削りの仕上がりと引きの感触に関係があることが確認された。 (3) 鉋刃に高炭素鋼を用いた場合は高硬度でも研ぎやすいと感じるものの、最終的な刃付けを安定して行うことが困難になることが確認された。
著者
渡邉 昌
出版者
公益財団法人 竹中大工道具館
雑誌
竹中大工道具館研究紀要 (ISSN:09153685)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.1-33, 2000 (Released:2022-01-31)
参考文献数
30

約4,000年前の出土建築部材の調査と復元実験の結果、縄文時代の建築用主要道具に関して、次のように要約するこができる。 (1) 約4,000年前に高床建築が存在していた。 (2) 高床建築の部材は、ホゾ・ホゾ穴などの仕口によって接合されていた。 (3) 建築用材は、ほとんどがクリ材であった。 (4) 約4,000年前の建築部材は、蛇紋岩磨製石斧によって加工されたと考えられる。 (5) 伐木段階では、縦斧形式の大型石斧が主要な道具であった。 (6) 製材段階では、縦斧形式の大型石斧、木製クサビ、横斧形式の大型石斧が主要道具であった。 (7) 建築部材加工段階では、縦斧・横斧形式の石斧と石鑿とが主要道具であった。 (8) 巨木柱を主体とした軸組を建て起こすためには、多くの人数を必要とした。 (9) 今回の復元実験で、縄文時代の建築部材加工に、石鑿が重要な役割を果たしていたことが明らかとなった。
著者
安田 徹也
出版者
公益財団法人 竹中大工道具館
雑誌
竹中大工道具館研究紀要 (ISSN:09153685)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.3-41, 2018 (Released:2021-03-20)
参考文献数
61

本稿では主に戦前までの文献を対象とし、魯般尺に関する記述の変遷を追った。その概要は下記のとおりである。 1. 最古の文献は中国宋代の『事林廣記』、それに次ぐのが元代の『居家必用』である。何れも1尺2寸を八等分し「財病離義官刧害吉」の八文字を配当する、現在と同形式の魯般尺を載せており、これが日本の魯般尺のルーツとなったと思われる。 2. 魯般尺の記述のある大雑書が17世紀後期から多数出版されており、これが日本の魯般尺のもう一つのルーツとなった。18世紀中期には八文字の順序を「刧病離官財義吉害」とする文献も現れた。 3. 18世紀末から盛んに出版された家相書にも魯般尺の記述が見られる。天保11年(1840)には9寸6分を八等分する新しい形式の魯般尺が現れた。 4. しかし多くの場合、魯般尺の記述は具体性に欠け、実際の建物の設計にどの程度使用されたかは分らない。
著者
沖本 弘
出版者
公益財団法人 竹中大工道具館
雑誌
竹中大工道具館研究紀要 (ISSN:09153685)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.62-76, 1991

良い道具の条件の一つは刃先が鋭くでき、鋭い刃先が長く保持できることである。このため、刃先には硬くかつ粘りのある性質が必要とされている。材料には高炭素鋼や合金鋼が使われる。これらの鋼では、硬くて脆い炭化物が不規則で分布すると刃こぼれの原因になるため、炭化物の微細化、球状化の熱処理技術を必要としている。日本の鉋刃は薄い鋼を極軟鋼や練鉄に鍛接しなければならないため、刃物鍛冶は良い刃先の組織にする熱処理に工夫を重ねている。道具刃物の刃先の理想的な組織にいたる各工程での組織変化に関してはあまり知られていない。良い道具の判断材料を得るために、研究熱心な鉋鍛冶の協力を得て、青紙1号という鋼を用いて熱処理工程ごとの組織変化を観察した。一般に、高炭素鋼の炭化物の球状化は焼なましによって達成できるが、取り上げた、鉋刃の製造工程においては焼なまし以前の工程である熱間での成形・鍛錬といった工程で球状化がかなり促進されていることがわかり、刃物鍛冶仲間でいわれる「火造り」の重要性が理解できた。
著者
植村 昌子 熊谷 透
出版者
公益財団法人 竹中大工道具館
雑誌
竹中大工道具館研究紀要 (ISSN:09153685)
巻号頁・発行日
vol.33, pp.3-19, 2022 (Released:2022-03-20)
参考文献数
10

本稿は一乗谷朝倉氏遺跡出土の建築部材13点の加工痕について調査した結果を報告するものである。その概要は以下の通りである。 ⑴敷居の溝は、小刀形状の道具で溝幅を定め、ノミで掘って形成されたと考えられる。溝挽鋸は使用されなかった可能性が高い。⑵製材はオガによる方法が主体であったと考えられるが、小さな部材は小割り用の縦挽鋸が使用された可能性がある。⑶材面の切削は、製材段階では斫り用の縦斧が使用され、次の段階で横斧(チョウナ)が使用されたと考えられる。⑷木口面は横挽鋸かノミによって切断される。
著者
土屋 安見 石村 具美
出版者
公益財団法人 竹中大工道具館
雑誌
竹中大工道具館研究紀要 (ISSN:09153685)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.1-16, 1991 (Released:2022-01-31)
参考文献数
26

15世紀初め頃に大陸から伝来したと推定されている枠付きの製材用縦挽鋸「大鋸」が、14世紀初頭の作とされる地獄絵、極楽寺蔵『六道絵』に描かれているとの情報を得て、この度、調査を行った。『六道絵』は、兵庫県立歴史博物館の総合調査で発見され、昭和61年(1986)に重要文化財の指定を受けている。 伝世品や他の絵画資料中の大鋸との比較検討及び他の地獄絵に描かれた鋸の調査から、以下のことがいえる。 (1)地獄の鬼の責め道具として、本来の木工以外の用途に描かれた地獄絵といえども、多くの場合その時代の鋸の形を反映している。 (2)人間を挽き切ることを主眼に描かれた地獄絵の鋸の中でも、『六道絵』の大鋸は、明確に製材法を描いている点で特異な存在である。 (3)しかも、その形状及び作業法の描写は正確で、かっリアリティを持っている。 (4) 『六道絵』の大鋸は、1 4世紀初頭に大鋸が伝来していた可能性を示す現在唯一の資料として大きな意味を持つものである。 (5) 『六道絵』と近い時期に描かれた他の地獄絵の中に、棒状の把手がついた大鋸が描かれており、これは横挽用の大鋸である可能性を持つ。しかし、地獄絵は先行する中国の図柄を参考に描かれることもあり、中国の資料との関連性など、今後さらに調査されねばならない課題も多い。
著者
土屋 安見 石村 具美
出版者
公益財団法人 竹中大工道具館
雑誌
竹中大工道具館研究紀要 (ISSN:09153685)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.1-16, 1991

15世紀初め頃に大陸から伝来したと推定されている枠付きの製材用縦挽鋸「大鋸」が、14世紀初頭の作とされる地獄絵、極楽寺蔵『六道絵』に描かれているとの情報を得て、この度、調査を行った。『六道絵』は、兵庫県立歴史博物館の総合調査で発見され、昭和61年(1986)に重要文化財の指定を受けている。伝世品や他の絵画資料中の大鋸との比較検討及び他の地獄絵に描かれた鋸の調査から、以下のことがいえる。(1)地獄の鬼の責め道具として、本来の木工以外の用途に描かれた地獄絵といえども、多くの場合その時代の鋸の形を反映している。(2)人間を挽き切ることを主眼に描かれた地獄絵の鋸の中でも、『六道絵』の大鋸は、明確に製材法を描いている点で特異な存在である。(3)しかも、その形状及び作業法の描写は正確で、かっリアリティを持っている。(4) 『六道絵』の大鋸は、1 4世紀初頭に大鋸が伝来していた可能性を示す現在唯一の資料として大きな意味を持つものである。(5) 『六道絵』と近い時期に描かれた他の地獄絵の中に、棒状の把手がついた大鋸が描かれており、これは横挽用の大鋸である可能性を持つ。しかし、地獄絵は先行する中国の図柄を参考に描かれることもあり、中国の資料との関連性など、今後さらに調査されねばならない課題も多い。
著者
安田 徹也
出版者
公益財団法人 竹中大工道具館
雑誌
竹中大工道具館研究紀要 (ISSN:09153685)
巻号頁・発行日
vol.31, pp.53-90, 2020 (Released:2021-03-20)
参考文献数
12

本稿では海軍技師・建築家の吉野直吉の足跡を追った。その概要は下記の通りである。 1. 吉野直吉は明治2年(1869)に生まれ、大工としての修業を経て明治33年(1900)から大正7年(1918)にかけて海軍の技術者として活躍した。 2. 1920年代から1940年代にかけて東京や川崎で堂宮建築の設計を行っている。主な作品に氷川神社社殿、玉川神社社殿、千束八幡神社などがある。 3. 竹中大工道具館では吉野直吉の突鑿、短刀、儀式装束一式、縮尺竹尺を所蔵している。このうち短刀は明治3年(1870)11月に七代目石堂是一が作ったものである。また儀式装束は昭和13年(1938)の玉川神社拝殿立柱式で使用されていることが古写真により判明した。
著者
松本 始 坂本 忠規
出版者
公益財団法人 竹中大工道具館
雑誌
竹中大工道具館研究紀要 (ISSN:09153685)
巻号頁・発行日
vol.32, pp.3-21, 2021 (Released:2021-03-20)
参考文献数
6

本稿では三重県玉城町の三縁寺に残されていた文書のうち、文化3年(1818)の本堂建替の棟梁として活動した九代竹中藤右衛門に関するものを取り上げ、その解説と翻刻文を掲載した。あわせて同文書から判明する九代竹中藤右衛門の活動地域と業務内容を明らかにし、江戸後期の大工棟梁の実態について考察を加えた。
著者
西山 マルセーロ
出版者
公益財団法人 竹中大工道具館
雑誌
竹中大工道具館研究紀要 (ISSN:09153685)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.70-95, 2007 (Released:2021-03-22)
参考文献数
30

左官鏝の変化に関する歴史変遷の過程及び今日実際に使用される鏝の形状分析を通して考察した結果、新しい知見として下記を得ることができた 1 本格的な左官技術が登場する飛鳥時代には、中首型に近い形式の木鏝が存在していた。 2 鏝面と首の接続方法として、江戸末期にはカシメの技法が採用されていた。 3 中首型の鏝の登場は江戸末期であると考えられ、遅くとも明治初期迄には京都で製造されていた。 4 左官鏝の形状を分類すれば、主に京都、大阪、東京で分けられ、これに地方独自の仕上げに適応した形状を加える分類方法が適切である。 5 中首型鏝の長さと巾の比率は、大阪と東京の巾が狭く、京都が巾広である。またこの比率は、大きくなるほど二次関数に変化をし、幅が狭くなる傾向が見られる。 6 鏝形状の変化については、基本的に時代に関係なく一定の規則性を保っているが、巾だけが例外的に広くなる傾向がある。 7 鏝巾の先巾と元巾の関係は、従来いわれていた分数標記とは関係がなく、刃通り下部の角度が一定に定められており、88°で作られている。 8 鏝の重量配分において、重心の位置と首の取付位置の関係は、京都の鏝のみが規則性を持ち、首中心より0.5 ㎜ 後方に設定されている。 9 剣先角度は、90°を主体に9 、85°~100°の範囲で作られている。 10 鏝面の全長と刃通り長さを比較した働き率は80%である。 11 柄を据えるセット角度について、鍛冶屋や問屋が独自に工夫する例が認められるが、左官職人がその効果を認知する事実は道具立てからは認められない。 12鏝面の厚さは、用途に応じて厚さの分布が変えられている。 13裏スキ形状には、下記の工夫が共通している。① 刃通り端部を3 ~ 4 ㎜程度平坦に残し、② 0.1 ~ 0.2 ㎜ 程度の裏スキを施す。③ 端部は、「ピン角」と呼ばれる鋭利な角を作る。