著者
安谷屋 良子
出版者
教育哲学会
雑誌
教育哲学研究 (ISSN:03873153)
巻号頁・発行日
vol.1962, no.6, pp.63-77, 1962-06-25 (Released:2010-01-22)
参考文献数
39

人間は、その人独自の内面的な世界をもっており、その内面性の深みにおいて人は全く孤独に神と対決するのであり、彼の神との対決において人は人生の意義を理解し、高次の人間性への要求と義務とを見出すのであるということは、宗教性を人間の精神構造の最も深い中核においているシュラプンガーの理想主義的思想を貫いている根本的信念である。従ってこの個人個人に特有の内面性に刺戟を与えて自ずから目醒めるに到るまでその影響を及ぼすことは彼にとって当然の教育の狙いである。彼にとっては、いかなる心身の育成も、有用な知識の修得も (もちろん欠くべからざる重要な教育の部分ではあるけれども) それだけでは充分に教育であるとはいえないのである。個々の人間が、その魂の底から揺ぶられて、真の人間性にめざめることこそ個人を最高度に発展させることであり、同時にまた社会および文化の発達向上の要因ともなるのである。このような思想は彼の数々の作品を通して読み取ることのできるものである。望ましい環境と指導者が与えられれば、若い者の魂に清らかな火がともされて燃え上る可能性のあることを彼の宗教的信念は語っている。然しながら、神にまで通う清浄な火を一人一人の魂の内に燃え上がらせようという彼の思想はあまりにも理想主義的であり、且個人主義的にすぎる感があり、我々の現実の厳しさにも縁遠いもののようにも思われる。私共の歴史的現実は個々人の清らかな魂のめざめを期待するにはあまりにも混濁しており、複雑な社会の機構は個人の意志の介入を許さないほどに我々を縛り上げてしまっているからである。だが一方おいて、社会そのものが個人を要素として成立し、個人の創意や発明が巨大な社会の力となって動いているという単純な事実を改めて思い起す時、シュプランガーの思想は我々の歴史的現実における歩みに対して何か示唆を与えるものではないかとも考えられる。いな、むしろ個人の介入の余地の少なくなっている現代ほど個人の存在の重要性を改めて高く掲げなければならない時代はないかも知れない。ここは彼の戦後の作品だけを取り上げたのは、それらが第二次大戦に引きつづくきびしい条件のもとで書かれたものであるからである。彼はしばしばヨーロッパの危機ということを問題にしているが、それはまた一般に現代の危機に対して書かれたものであると見ることもできよう。彼が警告を与えているところの、イデオロギーに縛られて一つの型にはまった考えしか出来ないような人間、マスコミの宣伝に影響されて自ら考えることをしないようなMassenmensch, あるいは科学技術の発達に伴って尨大な機械の附属品の如くになってしまっている人間、社会工学に基づく社会組織の中で位置づけられ、動機づけられて動く人間-こういった人間の状態は我々にとって決して縁遠いものではない。このような現代文化社会に共通の現象に対してシュプランガーが如何なる型で警告を与えているかは甚だ興味あることである。ここでは特に教育理想と教育者を主題としつつ現実の課題との結びつきをとらえたいと思った。