著者
小宮 孟
出版者
日本人類学会
雑誌
Anthropological science. Japanese series : journal of the Anthropological Society of Nippon : 人類學雜誌 (ISSN:13443992)
巻号頁・発行日
vol.113, no.2, pp.119-137, 2005-12-01
参考文献数
125

縄文時代の内湾漁撈は,スズキとタイを主な漁獲対象に展開したと考えられている。しかし,東関東の内湾沿岸部にある9ケ所の中後期貝塚から任意に採取した104本の柱状貝層サンプルを水洗したところ,アジ,イワシ,ウナギ,フナなどの小型魚類遺存体が高い頻度で分離された。内湾貝塚産魚類の主体は,従来の発掘で見落とされたこれらの小型魚が構成すると考えられる。ただし,魚種構成は地域差が顕著で,臨海部の遺跡では沿岸性小型魚が,内陸の遺跡では淡水魚が,そして,それらの中間域の遺跡では汽水魚が優占する。遺跡産魚類相を決定する1次要因が縄文人の漁撈にあるとすれば,この地域の内湾漁撈の主体は想定領域内に出現する小型魚の漁獲と消費に適応したシステムだったと推定される。しかし,想定領域内に海が存在しない遺跡からも大量の小型海魚のほか,タイなどの高級魚がしばしば出土することから,特定の海産物が経済的な取引をつうじて集団間を頻繁に移動した可能性がある。したがって,今回のデータは漁撈だけにとどまらず,魚類資源利用にかかわる当時の経済や社会のしくみを再検討する材料としても重要と思われる。<br>