著者
小峰 智行
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.65, pp.359-374, 2016

&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;真言声明の伝承や記譜法の分析をする上でしばしば問題になる理論として「反音」がある。四種類あるとされるこの「反音」については、『魚山蠆芥集』として幾つかの版が知られる真言声明の譜本の巻末にも、「四種反音図」が記されており、これらは転調や移調について示したものとして今日理解されている。確かに広い意味での転調・移調ということであるなら異論はないが、近年の多くの研究者はこれを特に16世紀のヨーロッパに端を発する基礎的な和声学、機能和声の論理や用語で説明しようとする傾向があるように思える。そもそも声明は単旋律無伴奏ユニゾンであり、和声法の概念が無い。もちろん、西洋音楽の楽典で用いられる用語や理論を適用して、声明の理論を考察することは大変有効である。しかし、それらを声明の音楽理論に正しく適用するためには、現在我々が一般的に聞いたり演奏したりしている現代の音楽のほとんどが、和声の機能によって調性が確定される音楽であり、我々は自然とその論理に支配されているということを意識する必要があると考えている。<br> そもそも音楽とは理論ありきのものではなく、音楽理論はその理解や分析、整理、伝承、そして普及などのために後から発展したものである。それは言語が意志伝達の手段として必然的に発生し、後に文字や文法によって整えられてきたという事実と同様である。そのような意味で楽譜とは言語における文字であり、音楽理論は文法であるともいえる。そしてそれらは言語、あるいは音楽が同じ様式を保ちながら普及する上で不可欠である。しかし、言語がそうであるように、音楽もまた日々変化している。従って、例えば中古日本語の文法と現代国語文法が異なるように、声明に必ずしも現代の音楽理論をそのまま適用することはできないのである。<br> 我が国における声明は奈良時代に始まり平安時代に発達したとされている。当時の中国ではすでに音楽理論が整えられ、7世紀に始まる遣隋使の派遣以降、楽曲や楽人と共に日本に輸入されていくこととなる。我が国においては、701年の大宝律令制定時には雅楽寮が設置され、組織的な音楽・舞踊の教習・演奏が行われるようになり、これが雅楽の起源となったことはよく知られている。一方、この時代のヨーロッパではグレゴリオ聖歌が普及し、記譜され、そして教会旋法が整えられた。アジアでもヨーロッパでもこの時代の音楽はモノフォニーかその変種であり、音楽理論も音律・音階・旋法に関するものである。従って声明の音楽理論もまた、そのような視点から考察する必要がある。<br> 筆者は拙稿「四智梵語の反音(1)」で、声明における「反音」について「旋法の変化」あるいは「旋法の移動」という表現を用いて考察を試みた。しかし調査や知識の不足のため、多くの課題を残した。本稿はこれを補うとともに、主に旋法の視点から声明の音楽理論を考察するものである。それにあたって、基礎的な音楽理論と旋法論について述べなければならないが、これらは一般的な楽典に加え、音楽学者である東川清一氏による旋法論や分析のための方法論を参考にしていることを一言添えておきたい。