- 著者
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小川 晴也
- 巻号頁・発行日
- 2008-03-25
本論文の目的は,リスクに関する合意形成に必要不可欠な議論分析ツールを開発し,新たなリスク・マネージメント・システムの可能性を考察することである.
現代社会には様々なリスクがある.我々はそのリスクを野放しにすることはできない反面,ゼロ・リスクを求めることも不可能な状況に置かれている.したがって,そのリスクをどのように取り扱うのかについての意見を調整し,その処理方法に関する合意形成をする必要がある.この合意形成のためのプロセスはリスク・コミュニケーションと呼ばれている.リスク・コミュニケーションの重要性は既に認識され,様々な観点からの研究も進められている.しかし,未だ試行錯誤が続けられており,より一層の改善が必要なのが実状である.これまでのリスク・コミュニケーションの中心課題は「如何に説得するか」であったが,時代の経過とともに「なぜ説得されないのか」に移り,「参加機会提供の重要性」を経て,現在では「信頼醸成の重要性」へと議論のポイントが移ってきた.しかし,「リスクに関する当事者間合意形成の方法論」については正面から研究対象とされたことがなく,実際には合意形成以前の問題として,相互理解すら達成されていないのが現状であると考えられる.
そこで筆者はリスク・コミュニケーションをリスク・マネージメント・システムの中の一つの機能と位置付けながら,リスク・コミュニケーションに合意形成のためのツールを組み込むことにより,相互理解とリスク・マネージメント・システム全体の機能改善を図ることを目指した.したがって,本研究はリスク・コミュニケーションを行おうとする者に対し,相互理解のための具体的指針を与えるだけでなく,リスク・マネージメント・システム全体の効率向上をもたらすという実践的な社会的意義をも有している.
本研究では,以下の作業を通じ目的の達成を図るものである.
(1)リスク・マネージメント・システムの観点から,種々のリスク研究分野におけるリスク概念およびリスク・コミュニケーションの意義を検討する.
(2)本研究におけるリスク・コミュニケーションの意義を再規定する.
(3)再規定したリスク・コミュニケーションの意義に基づき,合意形成のための分析ツールを仮説として導入する.
(4)範疇分類された三事例を基に,仮説の有効性と限界を検証する.
(5)検証された合意形成のための分析ツールを用い,リスク・コミュニケーションおよびリスク・マネージメント・システム改善の可能性を考察する.
本研究は,理論的考察と実証分析から構成される.理論的考察においては,リスク・マネージメント・システム論を理論構築の基盤とし,種々のリスク研究分野の知見をそこに組み込むことにより,リスク・コミュニケーションの意義を再規定した.そして,その再規定した意義から,リスク・コミュニケーションに関する仮説を導出した.
実証分析においては,事例を用いて仮説の検証を行った.そして,リスクに関する妥協が成立する原因およびプロセス,ならびにリスクに関する議論が発散・混乱する原因およびプロセスを,本論文の仮説により説明可能であることを示した.
本論文の構成は次のとおりである.
第一部(第2 章~第5 章)では,理論的考察を行い,リスク・コミュニケーションの意義を再規定した.
その際に用いた先行リスク研究分野は,リスク認知心理学,リスクの社会的増幅理論(SARF)およびリスク社会論(ベックおよびギデンズ)である.その結果,リスク関係者を最も単純な二項である【リスク管理者】と【リスク被受者】とした場合,リスク・コミュニケーションの意義とは,両者がそれぞれ設定している【回避可能なリスク】と【不可避の危険】を峻別する【諦念の境界】の乖離を,縮減・解消することであると規定できた.
第二部(第6 章)では,再規定したリスク・コミュニケーションの意義から,リスク関係者間で発生する不安・不満の原因を分析する「3つの乖離」モデルという原因仮説を導出した.さらに,その仮説から「リスクに関する妥協成立」仮説および「リスクに関する議論の発散・混乱」仮説を派生させた.
第三部(第7 章~第9 章)では,実証分析を展開させる.先に挙げた三つの仮説検証を,農薬,ウシ海綿状脳症(BSE)および外因性内分泌攪乱物質(EDC)の事例を用いて行った.
農薬の事例では,農薬リスクに関する説明会である「農薬ゼミ」のアンケート結果を基に,「農薬ゼミ」の効果と限界を本仮説により説明できることを示した.BSE に関しては米国産牛肉の禁輸~輸入再開~再禁輸の事例を用い,日米両政府間の交渉過程および新聞読者投稿記事の内容の変化を,本仮説を用いて説明可能であることを示した.EDCに関しては,政府・行政,研究者,産業界およびジャーナリストが発信した情報を基に,EDC 問題に関する議論が発散・混乱した理由を,本仮説により説明可能であることを示した.
第四部(第10 章~第11 章)では,本研究論文の結論およびリスク研究分野におけるその意義を示すとともに,今後の課題として,本研究により得られた知見を基にリスクに関する議論を再構成し,より効果的な合意形成を得るための応用可能性の模索と提言を行った.
以上のように,本論文ではリスクに関する議論を分析するための新たな方法論を提示し,その有効性を過去の事例を用いて検証した.この方法論をリスク・マネージメント・システムに組み込むことにより,リスク・コミュニケーションとリスク・マネージメント・システム全体の機能改善が可能になると考えられる.したがって,本研究の成果は,実務者にとって多大な実践的意義があると考えられる.本研究の論述過程で考案・提示されたリスク・コミュニケーションの概念および意義は,これまで共約不可能であったリスク研究諸分野の関連諸概念を,包括的にリスク・マネージメント・システムに取り込んだ結果生まれた成果である.これは,新たな形のリスク・コミュニケーションを模索する上での契機と社会的基盤を提供するものであり,実務者だけに留まらず,広く社会一般に対しても一定の成果を提示するに至ったと考えられる.