著者
小林 益子
出版者
麻布大学
巻号頁・発行日
2021-03-15

【はじめに】 世界で約3500種存在するゴキブリの中で、人の生活環境にかかわる屋内棲息性のゴキブリは数種類であり、その中でもワモンゴキブリ、クロゴキブリ、チャバネゴキブリの3種は衛生害虫として重要であり、特に飲食店や食品工場における衛生管理上の重要な指標とされている。また家畜の飼育現場においては、家畜による捕食も日常的に観察される。これらは公衆衛生学、獣医衛生学および衛生動物学において重要な昆虫であり、その生態を明らかにすることは意義がある。一方、これらのゴキブリは、実験動物として古くから継代飼育され、研究に供試されてきた。しかし、ゴキブリの内部寄生虫についての研究は少なく、寄生種、寄生率および、感染状況が宿主ゴキブリに及ぼす影響等についてほとんど知られていない。哺乳類実験動物の内部寄生虫の存在が、研究目的によっては障害になることが知られており、実験昆虫として用いられるゴキブリについても、内部寄生虫の状況を把握することは重要である。\n第1章 国内棲息3種ゴキブリに寄生する線虫の感染状況 国内に棲息している屋内生息性の3種類のゴキブリに寄生する線虫の感染状況をまとめた。チャバネゴキブリBlattella germanicaについては3飼育個体群(WAT、NIIDおよびNK群)と野生個体320匹(26都道府県79ケ所の飲食店や宿泊施設等で捕獲)、ワモンゴキブリPeriplaneta americanaについては3飼育個体群(NKC、NIIDおよびNK群)と5匹の野生個体(畜舎で捕獲)、クロゴキブリPeriplaneta fuliginosaについては2飼育個体群(NKCおよびNK群)と40匹の野生個体(畜舎で捕獲)を用いて、それぞれの寄生線虫種および寄生率を調べた。その結果、3種すべてのゴキブリの後腸前部にThelastomatoidae上科の蟯虫が確認された。形態及び分子同定の結果、それらはBlatticola blattae、Thelastoma bulhoesi、Hammerschmidtiella diesingiおよびLeidynema appendiculataであることが確認された。チャバネゴキブリではB. blattaeが単一種で感染しており、個体群によっては非感染群が存在したことから、感染が生命維持に直接影響を与えないことと、非感染な状態を通常の飼育管理で長期間維持できることが分かった。また、野外で捕獲されたチャバネゴキブリの67%(213/320匹)にB. blattaeの単一種感染が確認された。以上の結果から、B. blattaeはチャバネゴキブリに寄生して、日本各地に広範に棲息していることが明らかになった。チャバネゴキブリにおけるB. blattae感染は国内初報告になる。また、ワモンゴキブリ飼育個体群からは3種の蟯虫が検出され、2種蟯虫の混合感染、あるいはT. bulhoesi の単独感染がみられた。野生個体からは全てL. appendiculataの単一種感染が確認された。クロゴキブリでは飼育個体群と野生個体からL. appendiculataの単一種感染がみられた。\n第2章 チャバネゴキブリBlattella germanicaに寄生する蟯虫Blatticola blattaeの暴露感染 チャバネゴキブリの蟯虫Blatticola blattaeについて、感染経路の解明を目的として、感染ゴキブリの糞を非感染ゴキブリの飼育槽に混在させることによる暴露感染実験を行った。その結果、感染糞の混在10日後には非感染個体群ゴキブリからB. blattaeの幼虫が検出され、感染糞混在20日後には蟯虫の未成熟雌が検出された。さらに感染糞混在30日後には蟯虫の成熟雌成虫が検出された。以上の結果から、B. blattaeの感染経路として、感染糞の暴露が実証された。さらにチャバネゴキブリの近縁在来種で完全屋外生息型であるモリチャバネゴキブリBlattella nipponicaについては、国内4か所で捕獲された野生個体に蟯虫の感染はみられなかったが、実験室飼育系のモリチャバネゴキブリの10%(3/30匹)にB. blattaeの感染が認められた。\n第3章 チャバネゴキブリB. germanicaの蟯虫B. blattaeに対する駆虫薬の効果 蟯虫非感染個体群の確立を目的として、飼育個体群の蟯虫自然感染チャバネゴキブリを用いて動物用駆虫薬による駆虫効果を検討した。市販されているパモ酸ピランテル(Pyrantel pamoate)、パモ酸ピルビニウム(Pyrvinium pamoate)、イベルメクチン(Ivermectin)およびクエン酸ピペラジン(Piperazine citrate)を飲水に溶かして蟯虫感染ゴキブリに摂取させ、投与後3〜35日に消化管内の寄生蟯虫数を調べ,駆虫薬の有効性を評価した。その結果、パモ酸ピルビニウムとパモ酸ピランテルはゴキブリへの影響が低く、今回用いた濃度でゴキブリに死亡や衰弱はみられず、飲水として設置後10および17日で蟯虫が検出されなくなった。しかしながら、設置後30日にゴキブリの1個体から蟯虫の幼虫が検出されたことから、完全駆虫のためには、投薬の継続または追加が必要なことが示唆された。イベルメクチンでは0.5ppm投与区でゴキブリは生存したが、蟯虫の生存も確認され、5ppm以上でほぼ100%のゴキブリが死亡した。クエン酸ピペラジンでは200ppm投与区で蟯虫の生存が確認され、同じ濃度で50%のゴキブリが死亡した。以上の結果から、パモ酸ピランテルとパモ酸ピルビニウムは、宿主を死亡させることなく、チャバネゴキブリに寄生するB. blattaeの駆虫に有効であることがわかった。また、イベルメクチンやクエン酸ピペラジンなどが宿主ゴキブリに対して殺虫性を示したことから、ゴキブリの駆虫においては駆虫薬の選択が重要であることが示された。\n第4章 ゴキブリ用殺虫剤の効果に及ぼすチャバネゴキブリB. germanicaの蟯虫感染の影響 実験昆虫としてのゴキブリの蟯虫感染が、殺虫剤の効果に及ぼす影響について検討した。有効成分ヒドラメチルノンを含有する毒餌剤をゴキブリに与え、死亡するまでに排泄された糞を毒餌剤を食していないゴキブリに餌として与えたときの致死効果について、蟯虫感染群と非感染群のチャバネゴキブリで比較した。その結果、ヒドラメチルノン含有糞の糞食または糞への接触によると考えられる二次的殺虫効果は、蟯虫感染群が非感染群に比べて有意に高くなった。ヒドラメチルノン含有食毒剤の二次効果に蟯虫感染が影響したことから、食毒効果(帰巣後の二次的殺虫効果を含む)を有する殺虫剤の評価試験において、ゴキブリの蟯虫感染の有無が試験結果に影響する可能性が示唆された。この成績は、実験の種類によっては、実験昆虫の蟯虫感染を管理することも視野に入れる必要があることを示唆している。\n第5章 チャバネゴキブリB. germanicaの生存に及ぼすB. blattae 感染の影響 飢餓時のゴキブリの生存における蟯虫感染の影響を調べることを目的に、チャバネゴキブリの蟯虫自然感染個体群と非感染個体群を用いて、無給餌(通常の固型飼料を給餌しない条件)の場合の糞食嗜好性と生存率の関係を調べた。その結果、糞給餌区(固型飼料の代わりに餌として糞を与える)において、感染個体群の生存日数は非感染個体群に比べて長くなった。さらに、蟯虫非感染個体群と人為的に作成した感染個体群の無給餌の場合における生存率を同じ個体群内で比較した。その結果、蟯虫感染群の生存率は有意に高くなることが明らかになった。以上の結果から、感染個体群はより多くの糞を食して栄養源としたことで生存期間が長くなる可能性が考えられ、蟯虫感染が飢餓時のゴキブリの生存に有利にはたらく可能性が示唆された。\n【総括】1)国内棲息ゴキブリから蟯虫 Leidynema appendiculata、Hammerschmidtiella diesingi、Thelastoma bulhoesiおよびBlatticola blattaeが検出されその宿主特異性が示された。2)チャバネゴキブリにおけるB. blattaeの寄生を国内で初めて報告し、全国に分布していることが示された。飼育個体群では非寄生群が存在したことから、本種感染は生存維持には影響せず、非感染状態の維持も可能なことがわかった。3) B. blattae 感染糞のゴキブリ飼育環境への暴露による感染の成立を確認した。4) 野外生息型モリチャバネゴキブリについて野生個体は非感染であるが、飼育個体群ではB. blattaeの感染を確認した。5)パモ酸ピルビニウムとパモ酸ピランテルが、チャバネゴキブリの蟯虫を駆虫するのに有効であることを実証した。6) 実験用ゴキブリの蟯虫感染は、ゴキブリ用食毒殺虫剤の二次的殺虫効果の試験結果を変動させる可能性が示唆された。7)蟯虫感染が飢餓時のゴキブリの生存に有利にはたらく可能性が示唆された。\n【終わりに】 本研究により、国内のゴキブリに寄生する蟯虫種、寄生率、分布および駆虫法が明らかとなり、ゴキブリ宿主と寄生虫相互関係に関する新しい知見が得られた。これらの成績は、実験動物としての昆虫およびその他の無脊椎動物の管理手法の改善に貢献する。また、宿主寄生虫相互関係の解明においてゴキブリ-蟯虫感染モデルは、比較的制御しやすく、生物間の相互関係における寄生現象の解明において、ユニークかつ有用なモデルであり、今後の寄生虫学の発展に寄与するものと考えられる。
著者
小林 益子
出版者
麻布大学
巻号頁・発行日
2021

元資料の権利情報 : 本論文の一部は以下のとおり公表されている。(Part of this dissertation has been published as follows.) 1. Kobayashi M., N. Komatsu, H. K. Ooi and K. Taira. 2021.Prevalence of Blatticola blattae (Thelastomatidae) in German cockroaches Blattella germanica in Japan. J. Vet. Med. Sci. 83(2) https://doi.org/10.1292/jvms.20-0617The Journal of Veterinary Medical Science2. Kobayashi M, Ooi HK, Taira K. 2020. Effects of anthelmintics on the pinworm Blatticola blattae in laboratory-reared German cockroaches Blattella germanica. Parasitol. Res. 119(9):3093-3097 DOI: 10.1007/s00436-020-06778-1 PMID: 32591863 https://doi.org/10.1007/s00436-020-06778-1