著者
高橋 秀俊 小林 謙二
出版者
一般社団法人日本物理学会
雑誌
日本物理學會誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.40, no.3, pp.179-194, 1985-03-05

「人間にとってふさわしい研究は人間である」 (The proper study of mankind is man) と英国の詩人アレキサンダー・ポープは言っているが, 科学の窮極の目的の一つは矢張り, 思惟する能力をもつ「人間」というものを理解することであると言えるのかも知れない. 科学も所詮は「人間」が作り上げた文化の一形態であり, 「人間」なしには科学も存在し得なかったのである. その意味で, 教科書の中の科学だけではなく, 実際に研究に従事した科学者の語るなまの「人間の言葉」も聞いてみる価値が大いにあろうかと思われる. 1977年が日本物理学会創立100年にあたることを記念して, 『日本の物理学史』(上)-歴史・回想編-; (下)-資料編-が日本物理学会編集により1978年に東海大学出版会から発行され, 日本の物理学界の指導的立場にあり, すぐれた業績をあげられた先生方の回想録が収められている. 物性理論に関連したものとしては, 久保亮五先生の「日本における統計力学の成立」, 永宮健夫先生の「物性論の発展のなかで」, 伏見康治先生の「日本における物理学の成立」という大変興味深い回想録があり, 我が国における物性理論の発展の様子を可成りの所まで窺い知ることができるが, 十分とは言えないように思われる. そこで, 上記の回想録を補足するという意図も含めて会誌の編集委員の末席につらなる小林謙二が幾人かの物理学者にインタビーーし, 「我が国における物性論の草創時代」というテーマで, 御自身の研究の動機や当時の物理学者群像などを回想して頂き, ここにまとめた次第である. 1回目として, 我が国における物性論の草創時代 (1940年代) に活躍された東京大学名誉教授で慶応大学客員教授でもある高橋秀俊先生 (1962年度と1967年度の日本物理学会会長で, 1980年度の文化功労者にも選ばれている) の回想談をしるすことにしよう. 何分にもインタビュアーの非才のために質問の拙なさから重複するところがあったり, 余り意を尽していないような所もあるかとも思われるが, その段は読者諸賢の御海容をたまわりたい.
著者
江端 俊彰 小林 謙二 長内 宏之 川山 照雄 戸塚 守夫 早坂 滉
出版者
Japan Surgical Association
雑誌
日本臨床外科医学会雑誌 (ISSN:03869776)
巻号頁・発行日
vol.39, no.6, pp.948-952, 1978-11-01 (Released:2009-09-30)
参考文献数
13

1975年より1977年までの3年間で当科におけるエンドトキシン血症は34例で,良性疾患14例,悪性腫瘍20例であった.エンドトキシン血症を呈した8例と,エンドトキシン血症を示さなかった15例についてchemical mediatorのうち,血漿ヒスタミン,血漿セロトニン濃度について比較検討すると, Limulus test陽性例では血漿ヒスタミン,血漿セロトニン濃度ともLimulus test陰性例と比較し,有意な上昇を示した.また,実験的エンドトキシンショックにおいても, chemical mediatorのうち血漿ヒスタミン,血漿セロトニン,血中ブラディキニン濃度の上昇を確認している.エンドトキシンショックの病態生理については種々の意見があるが,エンドトキシンショック時にchemical mediatorが放出され,末梢循環不全より血液のpoolingが起きショックになると考えられている.したがって,エンドトキシンショック時にはchemical mediatorの放出が,エンドトキシンショックのtriggerとなることが示唆され,エンドトキシン血症とchemical mediatorの関係は重要なものと考えられた.