著者
小柳 正司
出版者
鹿児島大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1993

本年度は,以下の諸点について,2年間にわたる研究のまとめを行った。第1に,機能的リテラシーの捉え方の変遷を考察した。その結果,能的リテラシーは,当初の経済開発と人的資源確保に結び付いた「仕事のためのリテラシー」から,より広く社会的,市民的,文化的な次元を含む人間の基本的な生活能力の一環として捉えられるようになったことが明らかになった。第2に,機能的リテラシーの官製モデルを分析した。そして,一般の成人識字教育は,もっぱら非識字の「二流市民」を「良き市民」へと社会的に再適応を図る一種の補償教育であることを明らかにした。第3に,こうした通常の機能的リテラシーと成人式字教育の在り方を「飼い慣らし」と「非人間化」と批判したパウロ・フレインの識字教育論を考察した。そして,彼の識字教育は,文字の獲得を,民衆が自らの言葉で現実世界の成り立ちを読み取っていく過程として組織するものであることを明らかにした。第4に,1980年代のレ-ガン・ブッシュ政権下で新保守主義の教育改革が進行する中で登場した「文化的リテラシー」の主張を取り上げ,それが多民族国家アメリカの国民的共通文化の確保という課題をリテラシーの問題として新たに提起するものであることを明らかにした。第5に,文化的リテラシーの新保守主義的傾向への対抗理論として登場した批判的教育学のリテラシー概念を取り上げ,そこでは,(1)リテラシーの獲得は人々を既成の文化構造への参入を保証しつつ,それへの従属を図るものであり,(2)従ってリテラシーの問題は,何をもって「正統文化」とするのか,だれがそれを決めるのかという政治力学の問題であることが鋭く問われていることを明らかにした。