著者
山崎 一穂
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:18840051)
巻号頁・発行日
vol.63, no.3, pp.1276-1281, 2015-03-25

Ksemendraの仏教説話集Bodhisattvavadanakalpalata (Av-klp)第59, 69-74章はアショーカ王に関する伝説の叙述にあてられている.うち第73章はアショーカ王による龍調伏伝説を主題とする.この伝説を伝える並行資料はチベット大蔵経テンギュル書翰部所収Asokamukhanagavinayapariccheda (AsM),漢訳『天尊説阿育王譬喩経』(T no. 2044, vol. 50),『雑譬喩経』(T no. 205, vol. 4)及び17世紀のチベット僧ターラナータが著した史書に存する.これらのうちターラナータの史書はAv-klpとAsMに依拠したことを第六章末で明らかにしている.本論はターラナータの史書を除く四伝本とAv-klp所収話が伝える内容を比較し,Av-klp所収話の材源を明らかにすることを目的とする.Av-klpは漢訳二本に欠損,もしくは両者と食い違う物語要素をAsMと共有しており,両者の間には複数の字句の一致が確認され得る.従ってKsemendraが材源とした「龍への伝令物語」がAsMのそれに最も近いものであったことが推定される.しかしAv-klpにはAsMに対応部分を持たない物語要素が二箇所存在する.うち「アショーカ王による仏陀への帰依文」(第16-17詩節)はその文体的特徴から判断してKsemendra独自の創作と考えられる.これに対し「ウパグプタの招来」(第25-27詩節)は文脈,文体上彼の創作とは見倣し難い.この物語要素については(1)Ksemendraが何らかの材源からこれを知り得て自らの「龍への伝令物語」に挿入した,或いは(2)彼が自身の材源とした「龍への伝令物語」に既に挿入されていたという二つの可能性が考えられる.
著者
山崎 一穂
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.69, no.3, pp.1027-1032, 2021-03-25 (Released:2021-09-06)
参考文献数
4

Avadānakalpalatā (Av-klp)はカシミールの詩人Kṣemendra (西暦990–1066年頃)によって書かれた108章からなる仏教説話集成である.同作品の第31章第32詩節には「心」(manas)を「恩知らずな者」(akṛtajñaḥ)に喩える〈直喩〉(upamā)の用例が見られる.古典詩論家達は〈直喩〉が成立する条件の一つに喩えるものと喩えられるものの文法上の性と数,格の一致を挙げる.問題の〈直喩〉ではそれぞれ,喩えるものと喩えられるものである「心」と「恩知らずな者」という語が文法上の性を異にする.本論文はKṣemendraがなぜ詩論家達の規定に抵触する〈直喩〉をここで用いたのかという問題の解明を試みるものである.喩えるものと喩えられるものの文法上の一致が成立しない〈直喩〉の用例は劇作家Bhavabhūti (西暦8世紀)の戯曲作品Mālatīmādhava第9幕第10詩節に見られる.註釈者Jagaddhara (西暦13–14世紀頃)は,問題の詩節では〈情〉(rasa)が示唆されているので,〈直喩〉の文法上の不一致が許されると説明する.このことから,西暦8世紀頃には,詩論家達の規定の枠内で〈直喩〉を組み立てることよりも,〈情〉を示唆することを重要視する文学的慣習が戯曲詩人達の間に存在したことが推定される.演劇論家Dhanaṃjaya (西暦10世紀後半)は,Bharataの演劇論を体系化し,演劇論書Daśarūpaを著している.同書の第4章では八種類の〈情〉が定義されている.Av-klp第31章第32詩節に先行する第27詩節と第28詩節にはそれぞれ,abhilāṣa「欲求」,vīṇā「ヴィーナー〔の音〕」という語が見られる.Dhanaṃjayaによれば,前者は運命やその他の理由で一緒になることができない男女に生じる〈恋〉(śṛṅgāra)の〈情〉が成熟していく最初の段階を,後者は〈恋〉の〈喚起条件〉を言葉で表現するのに用いられる語とされる.このことはAv-klp第31章第32詩節で〈恋〉の〈情〉が示唆されていることを意味する.以上の点を考慮すると,Av-klp第31章第32詩節に見られる〈直喩〉の喩えるものと喩えられるものの文法上の不一致は,Kṣemendraが詩論家の規則を満たすことができなかったことを意味するものではなく,彼が〈情〉を示唆することを,詩論家の規則に従って〈直喩〉を組み立てることよりも重視したことによる結果であると解釈できる.