著者
山嵜 泰正
出版者
京都教育大学
雑誌
京都教育大学環境教育研究年報 (ISSN:09193766)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.53-68, 1997-03-31

オランダ風説書で米国船の来航を警告していたが,慣例重視の幕府はそれを無視した。現実の黒船出現と脅しに幕府は米国と和親条約を結び,大老・井伊直弼は勅許を得ずに日米修好通商条約を締結した。将軍継承問題での一橋派と南紀派(井伊大老)の対立は安政の大獄の大弾圧,そしてその反発で井伊大老暗殺を惹起した。公武合体で孝明天皇の妹・和宮が14代将軍・家茂に降嫁した。尊王攘夷運動は長州藩の米英蘭船砲撃,四カ国下関砲撃へ発展した。生麦事件を起こした薩摩藩は英軍艦報復攻撃を受け,軍備の近代化が必要と痛切に感じた。禁門の変の責めで長州征伐の際,薩摩藩は薩摩名義で長州の武器を購入し,その仲介役の形で海援隊の坂本龍馬が薩長同盟を成立させた。将軍家茂の急死で,15代将軍なった慶喜が,討幕運動の出鼻をくじくため大政奉還を決意した。その日に討幕派は討幕の密勅を受けた。王政復古を宣し「朝敵・徳川慶喜を討て」と号令を発した。1868(慶応4)年1月3日,鳥羽・伏見の戦いが始まり,幕府軍が敗走し,討幕派の薩長は「官軍」として「朝敵・徳川を征伐」するために江戸を攻めた。
著者
山嵜 泰正
出版者
京都教育大学
雑誌
京都教育大学環境教育研究年報 (ISSN:09193766)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.1-13, 1993-03-31

「公害」に対する私の考え方の変遷と環境教育の自覚,その発展・展開プロセスを述べる。水俣への修学旅行。水俣病患者の苦悩,「苦海浄土」を劇にした。戦後日本は高度経済成長でGNPの拡大を目指してきたが,「健康で文化的な生活を営む権利」を保障するはずの日本国憲法が公害でその根幹を虫ばまれている。新しい基本的人権として「環境権」による教育を考えた。公害教育が「義憤」を起こさせる「心を揺さぶる教育」とすれば,環境教育は科学分析の解説かマナー・生き方・道徳・倫理の問題に片寄る。やはり社会的正義感を失ってはならない。現状肯定ではなく,大量生産・大量消費・大量廃棄の社会構造に切り込んで行く厳しい社会批判の視点を忘れてはならない。