13 0 0 0 OA 「あたし」考

著者
山西 正子 山田 繭子
出版者
目白大学
雑誌
目白大学人文学研究 (ISSN:13495186)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.183-200, 2008

本稿では、自称詞「あたし」について、史的変遷を概観し、現代のいわゆるJ-POPの世界での「あたし」の位置づけを考察する。そして、しばしば「ややくだけた語感」とされる「あたし」が、J-POPの歌詞としては、「かわいらしさや女性のオーラを伝える」ためのアイデンティティ管理の表現として意図的に選択されることを確認する。その背景に、現代における、終助詞を含む文末表現に殊に顕著な、言語上の性差の縮小を想定する。アーティストが、自分のアイデンティティ表明の場である歌詞の中で、大きく女性に傾いた、いわば「有標の自称詞」である「あたし」を多用するのは、終助詞の使用など、それ以外の言語上のアイデンティティ表明手段が弱体化しているからではないか。「あたし」は一般的に「「わたし」の変化したかたち」と説明される。しかし、さらに変化して特化されている「わっち」や「あたい」に比して、いわば「変化の度合いが小さい/「わたし」との乖離が少ない」ために、様々な表情をもち得る。男性には「おれ」や「僕」などの「わたくし」系に属さない自称詞があるが、一般的にはそれを使用しない女性にとって、「わたくし」「わたし」「あたし」の選択は、時に大きな意味をもつ。しかるに、現代語では、「わたくし」系の自称詞は漢字「私」で表記されることが多い。日常語の実際の発音習慣が「わたくし」か「わたし」か、さらには「あたし」かを問わず、文字化するときには漢字表記「私」ですませてしまうことが多い。その中であえて「あたし」と表記するときの表現者の意図に迫り、アイデンティティ管理の手段として「あたし」が積極的に選択されることもある点を指摘したい。
著者
山西 正子
出版者
目白大学
雑誌
目白大学人文学研究 (ISSN:13495186)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.205-220, 2016

2 0 0 0 OA 「あたし」考

著者
山西 正子 山田 繭子 Masako YAMANISHI Mayuko YAMADA 目白大学外国語学部アジア語学科 西東京市図書館
雑誌
目白大学人文学研究 = Mejiro journal of humanities (ISSN:13495186)
巻号頁・発行日
vol.(4), pp.183-200, 2008

本稿では、自称詞「あたし」について、史的変遷を概観し、現代のいわゆるJ-POPの世界での「あたし」の位置づけを考察する。そして、しばしば「ややくだけた語感」とされる「あたし」が、J-POPの歌詞としては、「かわいらしさや女性のオーラを伝える」ためのアイデンティティ管理の表現として意図的に選択されることを確認する。その背景に、現代における、終助詞を含む文末表現に殊に顕著な、言語上の性差の縮小を想定する。アーティストが、自分のアイデンティティ表明の場である歌詞の中で、大きく女性に傾いた、いわば「有標の自称詞」である「あたし」を多用するのは、終助詞の使用など、それ以外の言語上のアイデンティティ表明手段が弱体化しているからではないか。「あたし」は一般的に「「わたし」の変化したかたち」と説明される。しかし、さらに変化して特化されている「わっち」や「あたい」に比して、いわば「変化の度合いが小さい/「わたし」との乖離が少ない」ために、様々な表情をもち得る。男性には「おれ」や「僕」などの「わたくし」系に属さない自称詞があるが、一般的にはそれを使用しない女性にとって、「わたくし」「わたし」「あたし」の選択は、時に大きな意味をもつ。しかるに、現代語では、「わたくし」系の自称詞は漢字「私」で表記されることが多い。日常語の実際の発音習慣が「わたくし」か「わたし」か、さらには「あたし」かを問わず、文字化するときには漢字表記「私」ですませてしまうことが多い。その中であえて「あたし」と表記するときの表現者の意図に迫り、アイデンティティ管理の手段として「あたし」が積極的に選択されることもある点を指摘したい。

1 0 0 0 OA 「きっと」考

著者
山西 正子
雑誌
目白大学人文学研究 = Mejiro journal of humanities (ISSN:13495186)
巻号頁・発行日
vol.(6), pp.127-140, 2010
著者
山西 正子 Masako YAMANISHI 目白大学外国語学部アジア語学科
雑誌
目白大学人文学研究 = Mejiro journal of humanities (ISSN:13495186)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.137-147, 2006

本稿は、明治以降における動詞「別れる」と共起する格助詞について考察し、以下の5点を指摘する。(1)現代語では「~と別れる」が優勢であるが、「死別」に関しては、辞書で「~に別れる」が記載されることもあり、認知度は高いといえる。(2)「死別」に関して「~に別れる」が認知されるのは、格助詞「に」の性格に由来するからであろう。すなわち「に」は「と」に比して固定的・一方的な性格が感じられ、「死の世界に止まってもはや動かない相手」が「に」で表現されやすいと考えたい。(3)古典語の「名残り」ともいうべきか、空間的な別れをいう「~に別れる」も命脈を保っている。 20世紀前半までの文学作品はもとより、以後の作品でも、時代小説であれば使用されることがある。(4)格助詞「と」の相互性によって、生きている人間同士の「今後の変動があり得る/対等の別れ」を「と」が分担するのではないか。(5)格助詞「に」は、固定的・一方的な状況と結びつきやすい性格がある。「~に別れる」は、その性格と、古典語からの伝統とで、現代語の中でも命脈を保ちつづけている。