著者
川口 由彦
出版者
法政大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2003

この研究は、近代日本の地主的土地所有に変容が生じる1920年代に焦点を当て、これが日本の土地所有権構造にどのような変動をもたらしたかを追究するものである。具体的には、中央の立法資料でなく、地方で生じた変動を県庁文書や村役場文書をもとに検証していくという方法をとる。そのような考察対象として、群馬県山田郡毛里田村という村に焦点を絞り、ここでの地主小作関係と小作争議の収拾のあり方を分析してきた。この研究には、群馬県内での毛里田村の位置を問題とせねばならないため、毛里田村だけでなく、近隣の新田郡強戸村、同郡生品村、同郡木崎町等の地域も視野におさめる必要があり、現地調査を含め、資料調査を行った。毛里田村、強戸村は、現在は群馬県太田市域にありこ生品村、木崎町は、現在は新田町地域にある。毛里田村の資料に限っていうと、群馬県立文書館に小作調停・小作争議関係の県庁資料が膨大に所蔵されている。小作争議や小作調停が、県小作官を介して県にあがっていった場合は、これらの資料により、その概要を把握出来る。さらに、毛里田村役場資料にあたることで、毛里田村での微細な動きも把握出来ると考えた。この毛里田村役場資料は、第2次大戦後、毛里田村等の太田町周辺町村が「太田市」として合併されたとき市立図書館に保存され、現在は、太田市教育委員会が所蔵している。また、強戸村役場資料も同様の過程をたどっている。そこで、太田市教育委員会に資料閲覧と撮影を申請し、毛里田村と強戸村について膨大な役場資料を収集した。また、毛里田村の特徴をさらに鮮明にするため、群馬県以外の地方での小作調停資料を見る必要があり、秋田県、京都府、香川県、山口県の資料を検討した。これら4府県については、以前比較分析をして論文として発表したこともあり、調査は補充的なものとなった。毛里田村は、全村的に小作争議が起こり、この収拾方法として、村内すべての小作地に「査定小作料額」を農会主導で決定するという、全国的にもきわめて珍しいことを行った村である。このことを調べていくうちに、小作争議の収拾にあたって、当初村役場は、各区ごとの農事実行組合によって「査定」をするとしていたところ、小作側がこれを拒否し、各区ごとでなく、全村的に農会の手で査定すべきだと主張していったという興味深い事実が出てきた。小作調停もこれを前提とした独特の内容をもつ。そのことを比較・分析し、この3年間の研究をまとめた次第である。
著者
川口 由彦
出版者
法政大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2000

本年度は研究実施計画に書いたように、昨年度がら収集してきた資料を更に充実させるべく、群馬県立文書館に3回、京都府立総合資料館に2回、調査に赴いた。小作争議表、小作調停受理・結果報告書、自作農創設維持計画書、地主所蔵文書などを中心に、群馬と京都という二つの地械での地域での地主小作関係の現代的内容を考察するためである。今年度の科研費は、この調査にほとんど費やしたといっていい。ここからわかったのは、京都の場合、1927年頃から小作争議解決の方式とでもいうものが登場することで、小作調停条項であらかじめ検見対象地を決めておき、地主小作立会のもと、農会の技術者が厳密に収穫量を測定し、収穫量を前提に機械的に減免額を決定するという手続の設定にまでいたっているということである。地主小作立会のもとの検見というのは、それ自体としては、江戸時代からのムラ仕事としてなされる「ムラ決め」の延長線上といえなくもないが、これを調停条項として、法的強制力を持たせたところにこの時代の特徴がある。どりわけ、争議の際の「当事者間の合意」を制度的に排除してしまった点で、地主小作人間の対立が極限にいたり、ぎりぎりのところで小作関係を継続するためこのようなシステムが生まれたと思われるのである。農林省発行の「小作年報」所載の調停条項例で見ても、京都と新潟くらいでしか見られない特異なシステムである。これにくらべると、群馬では、そもそも京都のように小作料減額免除システムをあらかじめ決めておくという解決方法が少なく、一回きりの減額や土地返還を決めるものが圧倒的に多い。例外は、全国的に「無産村」として名をはせた新田郡強戸村と、隣村の山田郡毛里田村である。この2村では争議が激甚に戦われたが、これを反映して調停条項も、当該争議以降の減額免除規定を定めるものが多い。ただ、その内容を見ると、地主小作両者からなる「委員会」をつくってここで合意するとなっているものがよく見られ、京都のように合意の契機を排除するところまでいっていない。強戸村の場合、村政も小作側が握ってしまうという特異な事態があったにせよ、従来の「ムラ決め」的要素を引ぎずっているといっていい。この相違が、農地改革期にも現れ、京都の場合は、農地改革は自明のことで、次のステップが考えられていくのに、群馬では、農地改革自体に大きな力が注がれる。農地法下の農民のあり方もこれに規定されたものとなるのである。