著者
川野 美砂子
出版者
東海大学
雑誌
東海大学紀要 教育研究所 (ISSN:13403125)
巻号頁・発行日
no.14, pp.21-41, 2006

受験者数・入学者数の激減と学科の定員割れ, これによって迫られる大学改革の中で強調される資格取得と専門教育, 産学協同と教養教育不要論, 「スキル教育」への要請は, 東海大学だけでなく日本の大学の間で広く見られるようだが, 開発工学部では特に顕著な形で現れているといえる。学科・学部ひいては大学の存続の危機に際して, 大学は, そして開発工学部は何を実現するべきなのか。専門教育と資格取得に徹底し, 教養教育あるいはリベラルアーツ教育はそのための「スキル教育」であるべきなのだろうか。あるいはリベラルアーツの深い水脈の中に他の可能性を捜し求めることができるか。法哲学者の土屋恵一郎は, アメリカにおける教育思想の歴史とリベラルアーツ論争を辿り, デューイやナスボースに従って, 共同体の価値や文化から自由になり, 自由な経験の交流を可能にする場所であると考える。またドイツ文学者の柴田翔は, 人間が自己と自己の属する文化だけが世界のすべてだと妄想することなく, 世界の広さと多様性を知り, 自己を相対化するための知の方向性として教養を再定義した。開発工学部のためのリベラルアーツを考えるとき, デューイの教育思想は現実的である。彼は職業や社会的使命が位置している社会的, 道徳的, 科学的, 経済的, 市民的コンテクストを理解し, 教育する職業教育の内にリベラルアーツ教育の本来の意味があると主張した。土屋は大学という世界市民的な関係へと開かれた場所で, 家族や仲間の関係の中で育まれてきた価値観や文化の組み換えを教えるのが教養教育の本質的な役割であり, この中で学生は将来の職業を選択し, 将来の生き方の暫定的な決定を行っていくのであるという。開発工学部における専門教育とリベラルアーツ教育について考えるとき, すでに1世紀近くにわたって行われてきた議論の蓄積から学ぶべきものは多い。