著者
常吉 幸子
出版者
活水女子大学
雑誌
活水論文集. 文学部編 (ISSN:21882983)
巻号頁・発行日
vol.57, pp.133-146, 2014-03-31

吉田松陰の『東北遊日記』の旅は、〈亡命〉の旅であった。国元(萩藩)からの正式な旅行許可を待ちきれず、出奔するような形になった理由は、不可解である。そのように急いで出立した理由として、十二月十四日の赤穂義士の討ち入りにあわせたかった、といった一見軽薄な理由もみえる。また、脱藩して兄の敵を狙う友人を「うらやましがった」節もみえる。順風満帆にもみえた吉田松陰の人生を暗転させた、この挙の意味は何だろうか。その鍵は、その挙の〈本歌〉となった、所謂赤穂義士討ち入り事件の本質にも関わるものである。この元禄末のあまりにも偶像化された事件は、その実、極めて周到に考え抜かれた、赤穂遺臣たちの〈センスメイキング〉の成果として、非常に〈強い〉事象であった、と筆者は考えている。多くの学者達がときに厳しく批判するが、それはときとして「織り込み済み」のものに過ぎず、論理的にさえ否定し得なかった、という意味において〈強い〉のだ。それは、その〈本歌取り〉である、松陰の〈亡命〉の意味にも関わってくる。その〈本歌〉があたえた強さは、その一見「愚挙」にも見えるものに、特別な意味を与えた。彼はこの挙によって自ら破滅したが、その一方でその「理想」に「教育」という道を与えたのである。