著者
幸泉 哲紀
出版者
龍谷大学国際社会文化研究所
雑誌
龍谷大学国際社会文化研究所紀要 (ISSN:18800807)
巻号頁・発行日
no.6, pp.179-194, 2004-03

国中至る所に色鮮やかな寺院や仏塔が点在し,また忙しい街路では托鉢をする僧と食べ物を施与する在俗者の姿が常に見られるタイは,仏教を実践する国と言うことができる。仏教は国教であり,タイの人々の生活のあらゆる側面にその影響が見られる。これに対して,異次頓の殉教の話や頭部を破壊された仏像に象徴されるように,韓国は堅忍な仏教徒の国と言える。数世紀にわたる排斥と迫害の歴史にもかかわらず,仏教はなお多くの熱心な信徒をもっている。言うまでもないことであるが,タイの人々にとっても韓国の人々にとっても仏教は輸入文化である。両国における仏教文化の出発点は,前論文で「説得による文化移転」と特徴付けたところの文化移転である。しかし両国におけるその後の仏教文化の展開は極めて対照的である。この論文では,タイ仏教と韓国仏教の違いがどこに見られ,その違いはなぜ生じたのかを分析する。タイと韓国の人々が仏教を自らの文化として受容するようになった経緯を分析することで,前論文で提起した文化移転に関する一般的な問題,つまり「移転された文化が移転先の人々に受容されるには,なぜ,どのように,どこに,またどの程度の移転文化の変容がなされるのか」という問題について,幾つかの有用なヒントが得られることが期待される。