著者
松居 竜五 小泉 博一
出版者
龍谷大学国際社会文化研究所
雑誌
龍谷大学国際社会文化研究所紀要 (ISSN:18800807)
巻号頁・発行日
no.6, pp.93-97, 2004-03

Minakata Kumagusu (1867-1941), a distinguished scholar both in ecology and folklore, wrote many Japanese essays which are often viewed as pedantic and difficult to read through. It is, however, important to understand that he spent fourteen years in the US and UK, and only wrote essays in English until he was nearly forty years old. Even after his late start as a Japanese essayist, he seems to have put priority on his English contributions to the two London magazines, Nature and Notes and Queries over publications in Japanese. It is therefore necessary to analyse his English essays in order to fully understand his studies and philosophy. In this project, we aim to trace the background to Minakata's English essays in connection with the scholary exchanges published in Nature.
著者
松居 竜五
出版者
龍谷大学国際社会文化研究所
雑誌
龍谷大学国際社会文化研究所紀要 (ISSN:18800807)
巻号頁・発行日
no.6, pp.98-115, 2004-03

Minakata Kumagusu contributed altogether fifty papers to Nature magazine published in London. Many of them are related to other papers published in the magazine, and they often promote and develop discussions. Four typical topics concerning such essays of Kumagusu are thus analysed in this paper; the Constellations of the Far East written in 1893 as Kumagusu's first contribution to Nature, works concerning folklore of bees and wasps written during 1894-1898 inspired by the work of Russian entomologist Osten Sacken, works on finger print method which were initiated by criticism to a paper of a British colonial officer who claimed himself as the inventor of finger-print method, and correspondence with Arthur Morrison concerning Kumagusu's English writings. First hand materials, articles mainly in Nature, and correspondence related to his papers found in Minakata's residence, are also presented.
著者
柳 美姫
出版者
龍谷大学国際社会文化研究所
雑誌
龍谷大学国際社会文化研究所紀要 (ISSN:18800807)
巻号頁・発行日
no.9, pp.77-80, 2007-05

自身舞踏家でもある韓国の舞踏研究者である著者によるこの論文では,自然性,気エネルギーの循環,力動性と即興性,維持された曲線美が,韓国舞踏の中心的な美の概念であることを指摘される。
著者
幸泉 哲紀
出版者
龍谷大学国際社会文化研究所
雑誌
龍谷大学国際社会文化研究所紀要 (ISSN:18800807)
巻号頁・発行日
no.6, pp.179-194, 2004-03

国中至る所に色鮮やかな寺院や仏塔が点在し,また忙しい街路では托鉢をする僧と食べ物を施与する在俗者の姿が常に見られるタイは,仏教を実践する国と言うことができる。仏教は国教であり,タイの人々の生活のあらゆる側面にその影響が見られる。これに対して,異次頓の殉教の話や頭部を破壊された仏像に象徴されるように,韓国は堅忍な仏教徒の国と言える。数世紀にわたる排斥と迫害の歴史にもかかわらず,仏教はなお多くの熱心な信徒をもっている。言うまでもないことであるが,タイの人々にとっても韓国の人々にとっても仏教は輸入文化である。両国における仏教文化の出発点は,前論文で「説得による文化移転」と特徴付けたところの文化移転である。しかし両国におけるその後の仏教文化の展開は極めて対照的である。この論文では,タイ仏教と韓国仏教の違いがどこに見られ,その違いはなぜ生じたのかを分析する。タイと韓国の人々が仏教を自らの文化として受容するようになった経緯を分析することで,前論文で提起した文化移転に関する一般的な問題,つまり「移転された文化が移転先の人々に受容されるには,なぜ,どのように,どこに,またどの程度の移転文化の変容がなされるのか」という問題について,幾つかの有用なヒントが得られることが期待される。
著者
バン ザイル
出版者
龍谷大学国際社会文化研究所
雑誌
龍谷大学国際社会文化研究所紀要 (ISSN:18800807)
巻号頁・発行日
no.9, pp.81-89, 2007-05

韓国舞踏研究の第一人者である著者によるこの論文では,韓国と日本の美学の比較研究が,まだ試験的な段階にあり,限られたものであることが指摘される。また,この種の研究で避けられない内部者によるエミックと外部者によるエティックという視点の違いが強調される。その上で,恨,動中静,神明という内部者が挙げる美の概念に加えて,外部の観察者である著者自身が見てとった連携性と非対称性という韓国舞踏における美の概念が提唱される。
著者
バン・ザイル ジュディー
出版者
龍谷大学国際社会文化研究所
雑誌
龍谷大学国際社会文化研究所紀要
巻号頁・発行日
no.10, 2008-06

呼吸は上演芸能における普遍的要素であるが,この論文では呼吸をどう行うかが韓国舞踊を韓国舞踊として特徴づける重要な要因であることが主張される。ここでの著者の議論は,呼吸が字義的に,あるいは示唆的に,どのように身体的・美学的技能に表されるかを考察することで,これまでの韓国舞踊についての議論をより進展させたものである。そうすることで,呼吸が演者によりどう生理的に使用されるかと,呼吸が観客によりどう受け止められるかとの間に違いがあることを指摘し,呼吸法が韓国舞踊の訓練に際して教えられるかどうかに言及している。ここで分析に使用されているのは,ルドルフ・フォン・ラバンの考えとこの考えに基づき作られた今日ラバン記号と呼ばれている体系である。踊り手が実際にどのような呼吸法を使用するか,またこの呼吸法が踊り手のすべての動きを誘導するかどうかとは関わりなく,韓国舞踊がもつ独自の特徴は,呼吸をどう身体で体現し,どう目に見える形で表現するかであることが示される。さらに韓国舞踊の教師と踊り手とでは呼吸に関して同じ考えを持たず,またこれに関連した考えも同じようには表現しないことが指摘される。