著者
廣川 歩実
出版者
富山大学比較文学会
雑誌
富大比較文学
巻号頁・発行日
vol.9, pp.19-41, 2016

太宰治による中編小説「乞食学生」は、文芸雑誌『若草』において、一九四〇(昭和十五)年七月号から十二月号まで、六回にわたって連載された。その後一九四一(昭和十六)年五月には実業之日本社より出版された『東京八景』に収録され、続いて一九四七(昭和二十二)年二月には『道化の華』、一九四八(昭和二十三)年八月には『東京八景』へと再録されて同じく実業乃日本社より出版されている。「大貧に、大正義、望むべからず ―フランソワ・ヴィヨン」というエピグラフで始まる本作品は作中において前述のエピグラフを含め、ヴィヨン詩句の引用が四箇所認められる。また太宰は一九四七(昭和二十二)年三月号の雑誌『展望』の中で長編小説「ヴィヨンの妻」を発表している。このように見ると太宰がフランソワ・ヴィヨンという詩人に高い関心を寄せ、長い時間をかけて作品創作への刺激を受けていたということがうかがえる。しかし、「乞食学生」は太宰作品群の中において今までさほど重要視されてこなかった作品であると言わざるを得ない。同じくヴィヨンを題材とした作品である「ヴィヨンの妻」が発表当時から話題を呼び、今日に至るまで多くの読者に読み継がれ、研究成果も目覚ましい一方で、「乞食学生」はその影に隠れた作品であるといえる。その最たる所以は「乞食学生」が太宰には珍しい、いわゆる夢落ちと言われる結末で締めくくられているためであろう。塚越和夫はこのような結末を迎える「乞食学生」を「単純陳腐である」と評している。ただし塚越は、青春の文学と呼ばれる太宰文学の中で「これほど典型的な青春をとらえた作品は少ないのではなかろうか」とも評しており、「単純陳腐」な結末を肯定的に捉えている。また一方で、柏木隆雄は「最後には夢だと明かす物語の展開があまりに粗雑」であると結末を否定的に捉らえている。どちらにせよ「乞食学生」はあまりに呆気ない結末を迎えるがために中期の太宰特有の「人間の善意と信頼とをうたいあげ、緻密な構成による知的な作品」には届いていないとみなされ、今までさほど読者や研究者の関心を深めてこなかったのではないかと推測される。しかし本稿では太宰の創作はもちろん思想にまで影響をおよぼしたであろう、フランソワ・ヴィヨンという詩人およびその詩作が初めて作中に取り込まれた「乞食学生」は少なくとも太宰の中期作品群の中において見落とすことのできない作品であると考える。さらに「乞食学生」におけるヴィヨンの影響を考えることが、今後の「ヴィヨンの妻」研究ひいては太宰治研究そのものにおいても重要になってくるのではないだろうか。したがって本稿では、太宰におけるヴィヨン受容ないしは日本におけるヴィヨン受容を調査した上で、「乞食学生」におけるヴィヨンの影響について検討する。