- 著者
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弦本 美菜子
- 出版者
- 東京大学大学院人文社会系研究科・文学部考古学研究室
- 雑誌
- 東京大学考古学研究室研究紀要 (ISSN:18803784)
- 巻号頁・発行日
- vol.28, pp.131-158, 2014-03-29
本稿では、江戸時代、鎖国期における日本国内への海外産陶磁器の流入について考える。長崎が中国陶磁の入り口として主要なものであったことと、長崎に入ってきた幅広い種類の商品から選択された特定のものが江戸まで運ばれたということを指摘したい。日本が中国・オランダとのみ貿易を行ったこの時期に海外から流入した陶磁器はほとんどが中国製品であり、流入の窓口としては長崎が主なものとして考えられる。長崎と大消費地である江戸の遺跡とで出土した中国陶磁を比較すると、共通するものが多くあることが確認される。江戸時代を通じ長崎と江戸は太いパイプでつながっていたことを実例として示すものである。また沖縄を通して入ってきた中国陶磁と比較すると、中国南部の製品を中心とした沖縄ルートでの流入に対し、景徳鎮窯系の製品を多く含むという長崎ルートの特徴が見て取れる。江戸では景徳鎮窯系の磁器が輸入陶磁器の大部分を占めることから、江戸へ運ばれた中国陶磁は主に長崎から入ってきたものであると推定することができる。江戸と共通する中国陶磁は唐人屋敷跡・オランダ商館跡でも確認されるため、貿易の担い手については中国船・オランダ船の両方が考えられる。長崎で出土するが江戸ではほとんど出土していないものがあることもわかった。江戸で出土した中国陶磁は、特に江戸時代後期には生産地や器種に偏りが見られる一方で、長崎では江戸で少ない福建・広東産の粗製の製品や、他の器種も多数確認された。江戸での偏りは陶磁器が長崎に入った後になされた選別によるものだと判断できる。中国陶磁が江戸へ至る間に働いた選択の背景としては、中国陶磁に付与されたブランド性や、中国陶磁とそれを用いた行為との関係があったことが推察される。江戸での需要に応えたもの以外の中国陶磁が長崎で見られることからは、中国陶磁の日本への流通という面から見た長崎と江戸の性格の違いが看取される。