著者
徳安 祐子
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.86, no.3, pp.603-627, 2012

近代社会において、知識とは頭のなかにあったり、所有したりする対象であった。知識と個人とは強く結びつき、知識は個人を拡張させるものであった。本稿では、ラオス山地民社会における呪医の知識について検討する。呪医は、「勉強」によって力の源泉となる「知識」を身につけ、村では知識層として見られる。呪医の「感覚」に着目し、彼らが知識をどのように感じ、どのように経験しているかについて検討すると、呪医たちにとって知識とは潜在的な主体性、人格性、そして両義的力を持つものとして「精霊のようなもの」と感じられていることがわかった。呪医の身体に宿る「精霊のようなもの」を呪医たちは増強したり、飼いならしたりしながら治療実践をおこなっている。「勉強」という言葉や、彼らが村の知識層として存在することからは、呪医の知識はわれわれの考える知識に近いもののように思えるが、実際にはおよそ別の姿を持つということがわかる。