著者
徳田 佐和子
出版者
北海道立林業試験場
巻号頁・発行日
no.49, pp.35-88, 2012 (Released:2013-10-08)

ミヤマトンビマイ科マツノネクチタケ属に属する木材腐朽菌マツノネクチタケの種複合体:Heterobasidion annosum s. l. (広義)は,北半球広域に分布し,針葉樹を中心とした林木に著しい根株腐朽被害および枯死被害をもたらすもっとも重要な樹木病原菌のひとつである。そのため,海外では古くから本菌の生態や防除に関する集中的な研究がすすめられてきた。しかし,日本産のものについては分類学的検討や被害実態の把握すら十分になされず,知見が不足した状態にある。本研究は日本産マツノネクチタケの特徴を包括的に把握することを目的とし,標本収集と野外調査,屋内実験により,国内に分布するマツノネクチタケ属3種の分類学的位置づけ,トドマツ人工林でみつかったマツノネクチタケ被害の特徴,被害地における同菌個体群のジェネット分布と伝播法,および北海道で推奨されるマツノネクチタケ被害の軽減法を明らかにした。日本および東アジアに産するマツノネクチタケ属菌3種(マツノネクチタケ,レンガタケ,南方系未同定種)について,分子系統解析と形態比較により分類学的位置づけを明らかにした。日本産マツノネクチタケは,マツノネクチタケ(広義)のうち比較的病原性が弱いとされるH. parviporumであったが,ヨーロッパのものとはやや異なる形態的特徴を有し,系統樹上では異なるサブクレードに属していた。従来H. insuraleとみなされてきたレンガタケは形態的特徴がH. insuraleタイプ標本と異なっており,形態および塩基配列が既知の種のいずれとも一致しなかったことから,新種Heterobasidion orientaleとして記載した。日本の南部と中国に分布する未同定種については新種Heterobasidion ecrustosumとして記載し,和名をカラナシレンガタケとした。分子系統解析からは,本菌が国内産の他の2種よりもオーストラリア周辺に分布するH. araucariaeと近縁であることが明らかとなった。北海道東部にある68年生トドマツ人工林において激しい根株腐朽被害が発生したため,病原菌分離菌株のDNA解析と菌叢の形態観察を行い、腐朽被害の原因がマツノネクチタケであることを明らかにした。国内で発生した同菌の被害をDNA解析により確認したのは本研究が初めてである。30×35mのプロット内にあったトドマツ伐根57本のうち27本(47%)に根株腐朽被害が確認され,マツノネクチタケ被害はこれら27本のうち14本(52%)に発生していた。本菌によるトドマツの腐朽は,心材が黄色味を帯びた淡オレンジ色~淡褐色に腐朽し,材に菌糸が詰まった細長い空隙が発達して繊維状を呈するもので,腐朽部は根株だけにとどまらず樹幹上方へむかって拡大していた。被害が著しいトドマツでは樹幹内部が空洞となり,辺材部にまで腐朽が及んでいた。一方,被害地のトドマツは衰退せず,順調な肥大成長を続けていたことから,日本のマツノネクチタケはトドマツ生立木に対して強い腐朽力を持つ一方,枯死をもたらすような強い病原性は持たないことが示唆された。3種類の手法(体細胞不和合性試験,RAPD解析,マイクロサテライト解析)を併用して、被害地におけるマツノネクチタケのジェネット分布とその遺伝的多様性を調査した。国内における同菌のジェネット分布調査は本研究が初めてである。68年生トドマツ入工林被害地に設定した60×100mのプロット内にあった被害木伐根33本各々から分離されたマツノネクチタケ33菌株は,それぞれ1~15本の被害木に感染した8個のジェネットに識別された。特定の1菌株からなる1ジェネットだけは遺伝的に他のものと大きく異なっており,3手法すべてで一致して識別された。しかし,残り32菌株は非常に近縁であり,手法により異なった識別結果が得られた。マツノネクチタケ(広義)でこれほど近縁なジェネット群が被害地から識別された事例はこれまで報告されていない。また,径が51mおよび50mに達した2個のジェネットは同菌のジェネットとしては世界最大であり,成長速度から推定した齢は100年以上とみなされた。ジェネットの特徴と観察された同菌の生態から,被害地のマツノネクチタケは主に根系の接触部を通じて栄養繁殖(菌糸成長)による感染拡大を行っていることが示唆された。被害地のマツノネクチタケは,もともと1個もしくは数個の子実体でつくられた担子胞子に由来しており,入工林が造成される以前の天然林だった頃にこの場所に定着した後、残された被害木伐根もしくは感染した生残木から人工林に引き継がれ,主に菌糸成長によって隣接木間を広がったものと考えられた。マツノネクチタケによる宿主の衰退や枯死が起こらない日本では,同菌の被害を初期段階で見つけることが難しい。しかし,トドマツ被害木は特徴的な腐朽型を呈するので,トドマツ人工林が高齢級化し収穫が行われつつある現在が被害地を見つけるよい機会であると考えられる。被害がみつかった場合,海外で行われている胞子分散を対象とした防除は基本的に不必要で,そのかわり,栄養繁殖による伝播を断つことを目的とした施業が推奨される。例えば、徹底した皆伐,被害木伐根の除去,抵抗性樹種への樹種転換,広葉樹を交えた混交林化,低密度植栽などが適当であろう。日本のマツノネクチタケは子実体形成を行うことがまれで栄養繁殖に強く依存しているので,いったん林地から感染源をなくし,トドマツ同士の根系の接触機会を減らせば,その林分におけるマツノネクチタケ被害は確実に軽減されるものと考えられる。一方,現在の北海道では,森林資源の平準化や森林の持つ多面的な機能の発揮を目的として,長伐期化,択伐や小面積の孔状皆伐,複層林化などが広くすすめられている。しかし,これらの施業は,マツノネクチタケに感染した生立木を林内に長く残すこととなり、罹病木と健全木の接触機会が増えて次世代林への被害の引継ぎや林分内での感染拡大につながるおそれがあるので,同菌の被害地では避けるべきである。
著者
徳田 佐和子
出版者
北海道立林業試験場
雑誌
北海道林業試験場研究報告 (ISSN:09103945)
巻号頁・発行日
no.49, pp.35-88, 2012-03

ミヤマトンビマイ科マツノネクチタケ属に属する木材腐朽菌マツノネクチタケの種複合体:Heterobasidion annosum s. l. (広義)は,北半球広域に分布し,針葉樹を中心とした林木に著しい根株腐朽被害および枯死被害をもたらすもっとも重要な樹木病原菌のひとつである。そのため,海外では古くから本菌の生態や防除に関する集中的な研究がすすめられてきた。しかし,日本産のものについては分類学的検討や被害実態の把握すら十分になされず,知見が不足した状態にある。本研究は日本産マツノネクチタケの特徴を包括的に把握することを目的とし,標本収集と野外調査,屋内実験により,国内に分布するマツノネクチタケ属3種の分類学的位置づけ,トドマツ人工林でみつかったマツノネクチタケ被害の特徴,被害地における同菌個体群のジェネット分布と伝播法,および北海道で推奨されるマツノネクチタケ被害の軽減法を明らかにした。日本および東アジアに産するマツノネクチタケ属菌3種(マツノネクチタケ,レンガタケ,南方系未同定種)について,分子系統解析と形態比較により分類学的位置づけを明らかにした。日本産マツノネクチタケは,マツノネクチタケ(広義)のうち比較的病原性が弱いとされるH. parviporumであったが,ヨーロッパのものとはやや異なる形態的特徴を有し,系統樹上では異なるサブクレードに属していた。従来H. insuraleとみなされてきたレンガタケは形態的特徴がH. insuraleタイプ標本と異なっており,形態および塩基配列が既知の種のいずれとも一致しなかったことから,新種Heterobasidion orientaleとして記載した。日本の南部と中国に分布する未同定種については新種Heterobasidion ecrustosumとして記載し,和名をカラナシレンガタケとした。分子系統解析からは,本菌が国内産の他の2種よりもオーストラリア周辺に分布するH. araucariaeと近縁であることが明らかとなった。北海道東部にある68年生トドマツ人工林において激しい根株腐朽被害が発生したため,病原菌分離菌株のDNA解析と菌叢の形態観察を行い、腐朽被害の原因がマツノネクチタケであることを明らかにした。国内で発生した同菌の被害をDNA解析により確認したのは本研究が初めてである。30×35mのプロット内にあったトドマツ伐根57本のうち27本(47%)に根株腐朽被害が確認され,マツノネクチタケ被害はこれら27本のうち14本(52%)に発生していた。本菌によるトドマツの腐朽は,心材が黄色味を帯びた淡オレンジ色~淡褐色に腐朽し,材に菌糸が詰まった細長い空隙が発達して繊維状を呈するもので,腐朽部は根株だけにとどまらず樹幹上方へむかって拡大していた。被害が著しいトドマツでは樹幹内部が空洞となり,辺材部にまで腐朽が及んでいた。一方,被害地のトドマツは衰退せず,順調な肥大成長を続けていたことから,日本のマツノネクチタケはトドマツ生立木に対して強い腐朽力を持つ一方,枯死をもたらすような強い病原性は持たないことが示唆された。3種類の手法(体細胞不和合性試験,RAPD解析,マイクロサテライト解析)を併用して、被害地におけるマツノネクチタケのジェネット分布とその遺伝的多様性を調査した。国内における同菌のジェネット分布調査は本研究が初めてである。68年生トドマツ入工林被害地に設定した60×100mのプロット内にあった被害木伐根33本各々から分離されたマツノネクチタケ33菌株は,それぞれ1~15本の被害木に感染した8個のジェネットに識別された。特定の1菌株からなる1ジェネットだけは遺伝的に他のものと大きく異なっており,3手法すべてで一致して識別された。しかし,残り32菌株は非常に近縁であり,手法により異なった識別結果が得られた。マツノネクチタケ(広義)でこれほど近縁なジェネット群が被害地から識別された事例はこれまで報告されていない。また,径が51mおよび50mに達した2個のジェネットは同菌のジェネットとしては世界最大であり,成長速度から推定した齢は100年以上とみなされた。ジェネットの特徴と観察された同菌の生態から,被害地のマツノネクチタケは主に根系の接触部を通じて栄養繁殖(菌糸成長)による感染拡大を行っていることが示唆された。被害地のマツノネクチタケは,もともと1個もしくは数個の子実体でつくられた担子胞子に由来しており,入工林が造成される以前の天然林だった頃にこの場所に定着した後、残された被害木伐根もしくは感染した生残木から人工林に引き継がれ,主に菌糸成長によって隣接木間を広がったものと考えられた。マツノネクチタケによる宿主の衰退や枯死が起こらない日本では,同菌の被害を初期段階で見つけることが難しい。しかし,トドマツ被害木は特徴的な腐朽型を呈するので,トドマツ人工林が高齢級化し収穫が行われつつある現在が被害地を見つけるよい機会であると考えられる。被害がみつかった場合,海外で行われている胞子分散を対象とした防除は基本的に不必要で,そのかわり,栄養繁殖による伝播を断つことを目的とした施業が推奨される。例えば、徹底した皆伐,被害木伐根の除去,抵抗性樹種への樹種転換,広葉樹を交えた混交林化,低密度植栽などが適当であろう。日本のマツノネクチタケは子実体形成を行うことがまれで栄養繁殖に強く依存しているので,いったん林地から感染源をなくし,トドマツ同士の根系の接触機会を減らせば,その林分におけるマツノネクチタケ被害は確実に軽減されるものと考えられる。一方,現在の北海道では,森林資源の平準化や森林の持つ多面的な機能の発揮を目的として,長伐期化,択伐や小面積の孔状皆伐,複層林化などが広くすすめられている。しかし,これらの施業は,マツノネクチタケに感染した生立木を林内に長く残すこととなり、罹病木と健全木の接触機会が増えて次世代林への被害の引継ぎや林分内での感染拡大につながるおそれがあるので,同菌の被害地では避けるべきである。