著者
我部 聖
出版者
東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻
雑誌
言語情報科学 (ISSN:13478931)
巻号頁・発行日
no.7, pp.205-218, 2009

1950年に開戦された朝鮮戦争のさなかに、サンフランシスコ講和会議が開かれた。会議の前後に竹内好らを中心に「国民文学論」が提唱され、広く議論された。この戦後の「国民文学論」を、戦前の「国文学」との差異を打ち出そうとする新たな「日本文学」の編成ととらえるとともに、戦後における文化統合の象徴としての「国民」が欲望される兆候とみることもできる。「国民文学」をめぐる論議のなかで、在日朝鮮人の作家金達寿の『玄界灘』を「国民文学」に回収しようとする動きがあったが、それは歴史的文脈を捨象して「被圧迫民族」に同一化しようとする、中心による周縁の包摂といえる。この中心による周縁の包摂を、「周縁」の側からとらえなおすのが本稿の目的である。同時期の沖縄では、琉球大学の学生が発刊した『琉大文学』において「国民文学論」が議論されていた。アメリカ占領下の沖縄では、「琉球文化」を奨励する文化政策と検閲が行われていたが、同人は、「国民文学論」をめぐる言説を「流用」(appropriation)しながら、検閲の視線をくぐり抜けて、脱植民地化の言説を紡ぎ出したのである。