著者
房 瑞祥
雑誌
崇城大学芸術学部研究紀要
巻号頁・発行日
no.10, pp.131-132, 2017

本稿は、中国古典文学『西遊記』における孫悟空の例を通して、日中における孫悟空の映像表現の相違とその背景を示すことを試みるものである。制作された時代や国によって孫悟空の表現描写は異なっている。孫悟空のキャラクターは、骨格、顔の造り、衣服、道具、彩色などの外的要素と、性格やセリフなどの内的要素によって構築されているが、制作された時代を反映する文化的あるいは社会的な影響が、孫悟空という共通キャラクターにも少なからず寄与している。『西遊記』が多く映像化されてきたのは、常に大衆受けする題材であったことや、映像技術の進歩と共に原典の映像表現が変化することなどから、時代性と関連づけられた題材として適合していたことなどが考えられる。本研究では、中国アニメ『西遊記之大聖帰来』(2015年)と日本アニメ『ドラゴンボール』(1984年)を通して、日中における孫悟空のキャラクター設定を比較し、原典小説『西遊記』で表現されている孫悟空との相違点を考察することにより古典小説の映像化におけるキャラクターの時代性の影響を明らかにすることを目的とした。西遊記の原典『元本西遊記』(14世紀)における孫悟空は、本来の主人公である玄奘三蔵をしのぐ活躍を見せており、非常に人気の高いキャラクターとなっていた。『西遊記』における悟空像の変化は、取経の旅を通じて、いかに自己改善を成し遂げていったかを描いたものと理解できる。『西遊記之大聖帰来』の孫悟空では、馬面の猿の顔に、革製の鎧を身に着けた長身となる。徹底的に無表情で、挫折感と反発心のみを強く抱いた、現代的なニヒリストの風貌である。中年の悟空と7歳の江流児がペアになるという奇想天外な設定で、原典『西遊記』からは大幅に離脱している。法力を失った昔日の戦士であり、冷たく、気性が荒く、それでいて心の奥底に捨て難い義侠心を秘めている。危険に出会うと、善良と正義の心で仲間を救助し、仲間の守護者になっている。『ドラゴンボール』における孫悟空は、黒髪の特徴的な髪型をしており、元気で明るく、朗らかな性格であり、誰からも好かれている。理不尽な目にあっても、大抵の事を「ま、いいか」の一言で済ますなど、あまり物事を深くは考えない。心が清らかでないと乗れないという「筋斗雲」に乗ることが可能であるなど、非常に無邪気な性質を持つ。常に自然体で、戦闘や緊急時にはシビアな対応を取り、かつ分け隔てない面がある。圧倒的な戦闘力と清らかな心により、地球、ひいては全宇宙を救う。孫悟空といえば、筋斗雲で飛び回る自由な印象を受けるが、敵をなぎ倒す力強さによって人の心を掴んでいる。それに加えて更なる自由や力を求める精神、仲間思いの心、機転とユーモアなどは孫悟空を理想のヒーローにまで引き上げている。孫悟空が幅広い層に受け入れられた大きな要因は、不自由な社会環境の中で多くの人々がそれを打破するイメージを孫悟空に重ねたものだと考えられる。三作品とも、孫悟空は「守護者」の役割を持ち続けた。守護の対象は、原典『西遊記』では玄奘三蔵、『西遊記之大聖帰来』では仲間、『ドラゴンボール』では地球と異なるが、すべての孫悟空は責任感が強く、何も恐れていない。孫悟空の図像イメージは、原典小説を基礎としながら、時代と表現メディアの変化を受け入れていった。そして、メディアに適応する形で、現代の要素を取り入れながら新しいイメージが作られた。『西遊記』に関する映像表現の変遷は、文学と映像表現および映画文化の変遷史とも言える。文学作品を原典とするキャラクターは文字のみで表現されている。その特徴を図像化することによって漫画、アニメ、ドラマ、映画など他ジャンル作品に拡がりを見せ、多くの人のキャラクターイメージを定着させるきっかけを作ってきた。また、図像化したキャラクターは原典の理解を深めることにもつながっている。孫悟空のキャラクターは、長い歴史の中で変化してきたが、多くの新しいキャラクターが出現したことで、伝統的なキャラクターが見えなくなった点も否めない。再度、歴史的資料による伝統的なキャラクターを軸にした他の国や地域で受け入れるキャラクターを作り出すことができるのではないかと考える。