著者
大木 聖子 永松 冬青 所 里紗子 山本 真帆
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2018年大会
巻号頁・発行日
2018-03-14

本発表では,高知県土佐清水市立清水中学校にて実践されている「防災小説」の効果について考察を行う.筆者らは2016-2017年度の2年間,清水中学校にて防災教育の実践研究を行ってきた.土佐清水市は,2012年に内閣府から発表された南海トラフ巨大地震の新想定で最大34m以上という全国一の津波高が算出された地域である.これを受けて地域住民からはあきらめの声も聞こえていたが,清水中学校が始めた「防災小説」作りはこの絶望的な状況を打破しつつある.「防災小説」とは,近未来のある時点で南海トラフ巨大地震が発生したというシナリオで,生徒ひとりひとりが自分が主人公の物語を800字程度で執筆したものである.発災後のどの時点を綴ってもいいが,物語は必ず希望をもって終えなければならない.この「防災小説」は,執筆した生徒自らの変化をもたらしただけでなく,教員・保護者・地域にも大きな影響を与えた.なぜいわば架空の物語にすぎない「防災小説」がこれだけの影響力を持つのかを探るべく,防災小説の分析と並行して,その後の生徒や教員・保護者の行動変容を一年間にわたって追跡することで,防災小説の理論的考察を行った.結論から言うと,「防災小説」には大きく2つの効果があった.ひとつは,防災の範疇を超えて生徒たちが自己実現を果たすことに寄与した点,もうひとつは,生徒自身やその周辺を含むコミュニティを防災の理想的な状態に先導した点である.「防災小説」はナラティヴ・アプローチの防災分野への応用と位置づけられる.内閣府の発表した新想定はドミナント・ストーリーに相当し,事態の硬直化を招いている.防災小説が,南海トラフ巨大地震が発生したときの描写を「最後は必ず希望を持って終える」物語として綴られたものであることを考えれば,まさにこれがオルタナティヴ・ストーリーとなり,硬直化した事態を解消しつつあると説明できる.また,防災小説は小説の中では過去であっても実際には未来に相当する地震発生までの期間をどのように過ごすべきかを,自ら綴った言葉で制約している(ナラティヴの現実制約作用).「防災小説」執筆後の防災教育活動やひいては日常生活にも良い影響がもたらされたのは,自分で具体的に描写した目指すべき自分像を,生徒ひとりひとりが持ったことによると考察できる.矢守・杉山(2015)は,もう起きたことをまだ起きていないかのように語る「Days-Beforeの語り」と,まだ起きていないことをもう起きたかのように語る「Days-Afterの語り」という概念を導入し,両者が両立されたとき「出来事の事前に立つ人々をインストゥルメンタル(目的志向的)に有効な行為へとより効率的に導くことができるのではないだろうか」と予測している.防災小説は言うまでもなく「Days-Afterの語り」である.そして,自らの死に匹敵しうる出来事を「防災小説」の中において経験する生徒たちは,実際にはまだその出来事が起きていない「今この時」を思うときまさに「Days-Beforeの語り」の状況におかれており,コンサマトリー(現時充足的)の重要性に気づいている.つまり,「防災小説」は「Days-Afterの語り」であると同時に,「Days-Beforeの語り」にもなっており,矢守・杉山が予測していた状態を実証したものと言える.そして,この状況を効率的に導くことができる理由も,上記のナラティヴ研究の文脈において明らかにできたといえる.さらには,防災小説は学校現場で実施されることで,終わらない対話(矢守, 2007)に導いている.その結果,防災の理想的状態と位置づけられているステータスである,〈選択〉を重ねてなお残るリスクを〈宿命〉として住民全員で引き受ける未来に向かって,防災小説が生徒とその周辺コミュニティを先導していると結論した.