著者
政岡 清計
出版者
九州共立大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2005

本研究では、江戸時代における山車が、経済的に興隆した町人の蕩尽や歓楽のためだけでなく、祭礼時の商行為によって庶民の経済や生活を支えるため、集客に必要不可欠な存在であったことを示し、地域振興としての役割があったことを明らかにすることで、山車の歴史的位置付けを再考する契機となることを目指している。今年度は、以下の通り、史料収集・研究成果の発表を行った。山口祇園会の山車「御上之山」については、昨年度に引き続き、萩毛利藩の天保改革の一環として行われた御上之山の調替(造替)に関する書状、調替決定後の地方町方からの調替差戻の願書について考察した結果、1)町人だけでなく、農民らも祭礼時の商行為により収益を得て生活の一助としていたこと、調替の結果、収益に影響して生活が困窮したこと、2)調替による祭礼時の収益減少により山口街住民の生活が困窮し、その結果、空家や破損したままの家屋が増加し、町の維持が非常に困難となったこと、3)庶民は、御上之山調替を差し戻すことで1)2)の間題の解決を図ろうとしたことが判った。以上を踏まえると、江戸時代の山車の意匠を歴史的に位置づける際は、庶民の生活や都市への影響を意識しながら、祭礼時の集客効果を狙って考案された可能性を考慮する必要があるものと考えられる。史料調査については、関連史料『流弊改正控」の調査を行い、萩毛利藩が御上之山調替の財政削減効果を試算した古記録をみつけた。詳細は日本建築学会九州支部で報告した。この他、日田祇園の山鉾の実測調査と関連史料の調査、姫路播磨総社の一つ山・三つ山祭礼については、祭礼時の商行為とその収益が判る史料の調査、八代妙見祭の笠鉾にっいては、笠鉾の造替・修覆と災害、飢饉との関連を知るための史料検索・調査、江戸天下祭りの山車については、江戸期山車祭礼の代表的事例として論文で触れることを想定して史料の検索・調査を行った。