- 著者
-
斉藤 茜
- 出版者
- 日本印度学仏教学会
- 雑誌
- 印度學佛教學研究 (ISSN:18840051)
- 巻号頁・発行日
- vol.62, no.3, pp.1139-1143, 2014-03-25
中世インドの言語哲学の発展は,文法学派が立てたスポータ理論をひとつの頂点とする.彼ら文法学派は,ことばを構成する最小のユニットとしてスポータ(sphota)を提唱した.その開顕に関して,我々はBhartrhari(5世紀)の著作Vakyapadiyaに最初の具体的な議論を見ることができる.Mandanamisra(8世紀初頭)はBhartrhariの思想を継承し,自身の著作Sphotasiddhi(SS)において,スポータ理論を完成させた.さて,SS最後1/4の部分で,対論者が音素論者(ミーマーンサー学派)から,音素無常論者(仏教)へ交代し,対論としてDharmakirti著作Pramanavarttika及びその自注(Svavrtti)(PVS)が,度々引用されるようになる(1章 Apauruseyacinta『非人為性の考察』).Mandanaが引用する対論の主張(pp.210-234)はPVS当該箇所の要約といってよい.本論文では,対論の内容をDharmakirti, Mandana,両者の視点から整理し,互いに異なる思想の中で,それぞれの特徴及び対立点を明らかにすることを試みる.仏教側の議論は,主として語を発信する側と受信する側の「意識」の問題に重きが置かれるが,話し手の側の意識の因果関係と,聞き手の側の意識の因果関係はPVSにおいて分けて記述されるため,両者の接続が妥当かどうかが議論の焦点となる.一方Mandanaの論駁においては「話者の同一性」の検証が重視され,これに関連して,普遍を有さない完全に個別的な音素が,どうやって話し手と聞き手の間で共有されるのか,という問いが対論に対して投げられる.