著者
明石 岩雄
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.12, pp.p42-62, 1983-12

「国璽」、一般に国印はその国の政治形態如何にかかわらず、国家それ自体を表象するものであり、たとえば「天皇御璽」や「太政官之印」等の統治主体や統治機関の印章とは明確に区別される。わが国においては「大日本国璽」がこれにあたる。「国璽」の使用規定が法制的に明確化されたのは明治十九年の公文式によってであり、条約批准書、国書、全権委任状等各種外国派遣官吏委任状など主として外交関係の重要文書に用いられ、その他に勲記の一部にも使われた。「国璽」制定の時期に関しては、現在のところ『明治天皇紀』の明治四年制定説が通説となっており、各種の辞典もみなこれに従っている。しかし、この制定時期については、なにぶんにも「国璽」に関する研究が極端に少なく、十分な論証がつくされているとは言い難いのが現状である。ところで筆者は最近、「国璽」制定時期に関する新たな史料を相ついで見る機会に恵まれた。ひとつは慶応四年の王政復古の布告書であり、もうひとつは「国璽」の彫刻にかかわった京都の印司・中村元祥の記録である。本稿では、これらの史料を紹介するとともに、これを機会にいくつかの考証を付け加えて、通説の再検討を試みたい。(史料は本文末尾に掲載)
著者
明石 岩雄
出版者
奈良大学総合研究所
雑誌
総合研究所所報 (ISSN:09192999)
巻号頁・発行日
no.8, pp.65-76, 2000

本稿は、所報では論文として掲載していただいたが、むしろ現在進行中の作業のいわば中間報告と言うべきものである。筆者は平成9年度の本学研究助成50万円を表題の実現のために申請し、許可された。当初は1915年から1945年いたる、すでに作成済みの戦前『大阪朝日新聞・奈良版』(microfilm)見出目録のデータベース化の作業を出来るだけ完成するつもりであった。しかし、作業は極めて困難で、結果的には1915年から1923年までの分、見出件数(勿論必要な個人プライバシーの保護のために削除した分を除いて)3万9000余件のデータベース化を成功したにとどまった。おそらく、この作業が完成するにはさらに5年から10年の期間が必要であろう。最終的にデータベース化された見出件数は15万件から20万件に及ぶ、と予想している。冒頭で筆者が述べた理由は以上の意味においてである。