著者
普照 潤子
出版者
美術科教育学会
雑誌
美術教育学:美術科教育学会誌 (ISSN:0917771X)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.347-358, 2007

本論では,わが国においてこれまでほとんど知られることのなかった,ハンガリー人亡命者たちによる反ナチス運動に参加したモホリ=ナギの1940年代の活動を手がかりとして,彼の亡命体験の歴史的苦悩と,その中で,彼がいかに豊かな芸術の哲学と芸術教育学をアメリカに提示したのかを明らかにした。そしてそれらは,バウハウス教師たちの亡命体験を成功物語として一面的に解釈してきたこれまでのバウハウス受容研究の中では,解明できなかったものであった。
著者
普照 潤子
出版者
美術科教育学会
雑誌
美術教育学 : 美術科教育学会誌 (ISSN:0917771X)
巻号頁・発行日
no.30, pp.331-344, 2009-03-21

1937年にアメリカ合衆国中部の中心都市シカゴに設立されたニュー・バウハウス。同校は,シカゴの文化的・経済的発展に貢献した先進的なデザイン学校であると同時に,1920年代初頭に始まるシカゴの芸術学校改革を牽引する「改革芸術学校」であった。設立以降毎年発行された同校の学校案内カタログを視野に入れ,分析することにより,モホリ=ナギの最晩年の主著『ビジョン・イン・モーション』(1947)には,校長職にあったモホリ=ナギがニュー・バウハウスを舞台としたシカゴの芸術学校改革と同校のカリキュラム作成にいかに取り組んでいったのかが浮かび上がる。本研究では,モホリ=ナギがヨーロッパからアメリカにもたらした改革的芸術教育学の素顔とそのカリキュラム設計上の基本構想を解明する。