著者
郡司菜津美 岡部大介# 大内里紗 松嶋秀明 有元典文
出版者
日本教育心理学会
雑誌
日本教育心理学会第58回総会
巻号頁・発行日
2016-09-22

企画趣旨 本シンポジウムでは,学校インターンシップに着目し,状況論から見える2つの「思い込み」について議論してみたい。 学校インターンシップとは,「教員養成系の学部や学科を中心に,教職課程の学生に,学校現場において教育活動や校務,部活動などに関する支援や補助業務(文部科学省,2015)」のことであり,教員免許取得に必須である「教育実習」とは異なる位置付けで導入されはじめている。文部科学省は,この学校インターンシップの導入により,「理論と実践の往還による実践的指導力の基礎の育成」が達成されることを期待しているが,その学びを確実なものとするためには,十分な環境整備が必要であることも強調している。実際に,学生を受け入れる学校の確保,学生への事前・事後指導,学校側のニーズを把握する情報提供機会の確保といった環境整備のためには,教育委員会と学校,及び大学が十分に連携する必要があるだろう。 しかし,実態として,学生・現場教員・大学教員が連携するためのシステムは未だ十分に構築されているとは言い難く,学生が「理論と実践を往還する」ための十分な取り組みがなされていない現状がある(麻生,2016)。本シンポジウムでは,こうした現状を打開する一つの手立てとして,2つの「思い込み」に着目してみたい。2つの「思い込み」とは⑴学校インターンシップは「インターン個人が学習する機会」であり,⑵指導者が「その場で指導するもの」であるといったものである。これらの学校インターンシップに関する思い込みは,学校インターンシップという「インターンの学習のための制度」が前提となったカメラワークによって現前してしまうものであり,状況的学習論は個人から状況へとカメラをズームアウトすることにその特徴がある。本シンポジウムでは,2人の話題提供者から,それぞれの「思い込み」についての知見を提供していただき,今後の学校インターンシップのあり方について再考していきたい。本シンポジウムでは話題提供・指定討論の後,参加型のワークショップ形式でフロアとの対話を深めていきたいと考えている。話題提供学校インターンシップは「インターン個人が学習する機会」なのか?大内里紗(横浜国立大学大学院) 横浜国立大学大学院のカリキュラムには,「教育インターン」という必修科目が設けられている。今回は筆者の「教育インターン」における実践について紹介することで,学校インターンシップでは誰が・どのように・学習するのか,ということについて議論していきたい。 本実践は,非行・いじめ・校内暴力・学級崩壊などの問題を持つ課題集中校である公立中学校で行った。生徒指導上の問題を持つ男子生徒2名(P, Q)に対し,中学校教員と大学チームが連携して支援を行った。実践では,P, Qにとって必要な教材や人材といった支援・指導は何かを,かれら当事者2名と教員,大学の支援チームが共に話し合うオープン・ダイアログ形式(Seikkula and Olson, 2003)を採用した。この支援実践は「中・大連携学習環境デザイン研究」と名付けられ,中学校と大学チームの共同研究いう形式でP, Qも研究者の一員として始められた。2016年5月までに6回の実践を行い,うち3回が面接を,3回が学習支援を中心とした実践であった。 本シンポジウムでは第6回の実践における支援とその後の中学校教員と大学チームの対応を事例として,学校インターンシップが誰にとっての,どのような学習の場であるのか,を検討する。第6回はP, Qが中学3年生になって初めての,面接を中心とした実践であった。実践ではP, Qにまず学習,生活面それぞれにおいて「今困っていること」について尋ねた。志望高校についての意思表明とそのために必要な勉強への言及があったその後,「部活のルールが納得できないでいる」という話題が始まった。昨年,彼らが2年生の時に顧問によって作られた10のルールが,今年に入ってから25に増えたという。そのルールには挨拶や荷物の整理整頓といったかれらにとっても了解可能な内容のほかに,部活を続ける条件としての成績,関心意欲に対する評価の下限が設定されているのだという。他の生徒に比べて学力が低いという認識のある彼らには,これは「自分たちの力でどうにもならないルール」だと思え,納得できないと主張した。「筋が通らないことだ」,と彼らは大学チームにその憤りを伝えた。大学チームはかれらの前で意見交換をした。いわく,二人の不満は理にかなっているように思える。これを教員に伝えた方が良いだろうか。そして二人に先生たちに伝えても良いかを問うた。「むしろそうしてほしい」と二人は支援を求め,大学チームは彼らの意見を中学校教員に伝えた。その結果,中学教員と大学チームからなる支援委員会で,今後このことを切り口に,指導・支援の質について検討していくことになった。 以上のエピソードから,「教育インターン」をただ単に,インターンが現場の実践を体験的に学ぶ場としてだけ観察することはできない。大学チームと生徒と中学校教員も,一方通行的に影響を与える関係ではない。「オープンに対話する」という意思疎通の回路を開いておくことで,互いに互いが影響しあい,知り合い,そのことで学習し合うような,弁証法的で集合的な学習の場を組織していると観察することもできるだろう。有元(2016)は学校インターンシップを「社会的な相互行為と,そのことに起因する人と組織と制度の発達のきっかけ」と表現している。立場によってさまざまに観察可能な変化が同時に生起し,進行し続ける多面的な現実の中で,大学院生個人の学習としての「教育インターン」はそのとらえのほんの一部であり,「教育インターン」から始まる支援者・生徒・学校の相互作用そのものを,大きな集合体の発達と捉えてみることに意味があるのではないだろうか。なぜなら,このような相互作用において,誰が作用の主体というのでもなく,どこにも正解はなく,ただ今より未来の自分たち,という「より良さ」に向けた参与者の共同的な相互作用があるだけなのだから。指導者は「その場で指導可能」なのか?郡司菜津美(国士舘大学) 教員養成課程の大学教員として,学生を教育現場に送り出す際の不安は非常に大きい。「きちんと教師として振る舞えるのか」「児童生徒に対して適切な指導ができるのか」「現場教員と上手くコミュニケーションが取れるのか」といったようなことは,考え出したらきりがない。大学教員は,教育実習や学校インターンシップの際に「事前・事後指導」,研究授業等で「教育実習生の指導」をすることが求められるが,それらの指導は,あくまでも「教師としての学び方」の指導でしかない。児童生徒とのやりとりは決まった形式があるわけではなく,その指導方法が1対1対応ではないため,教師として自律的に振る舞うことができるような「学び方を学ばせる」ことしかできない。これは学校インターン・教育実習を受け入れる先の指導教員にも言えることだろう。非常にもどかしいが,その指導は間接的で,しかも遠い未来に教員になった時を想定したものでしかない。それはまるで,現場教員が児童生徒を指導する際のもどかしさと似ているだろう。学校を卒業した後,自律的な人間として振る舞えるようになることを期待はしているが,その未来に,教員がそばで付き添っていることはできないし,ましてやその場に居合わせて指導することはできない。小学校・中学校・高等学校・特別支援学校の教員も,学校インターンシップや教育実習に学生を送り出す大学教員も,こうした同じようなもどかしさを感じながら,指導者として,指導をせざるをえないのが現実だ。 本シンポジウムでは,こうした指導者のもどかしさを皆で共有し,指導者が「その場で指導するもの」といった思い込みを捉え直してみたい。具体的には,事前・事後指導のあり方,インターンや実習生を送り出す・受け入れる側のあり方,発展的に,教師は「その場で指導可能なのか」といった問いに皆で答えてみたい。
著者
堀優太 有元典文
雑誌
日本教育心理学会第58回総会
巻号頁・発行日
2016-09-22

問題と目的 集団内の発言しやすさの要因は,内的要因と外的要因に分けることができる。しかし,外的要因に関する研究は数多くない。Lobman & Lundquist (2007)は,話者や行為者以外の聴き手が行っているふるまいをaudience performance(以下apと略す)と定義した。本研究ではapを「話者や行為者の言動を受けた,聴き手となる個人及び集団のふるまい全般」と定義し,集団内の発言しやすさの要因としてメンバーのapに着目した。 これまで,心理学では発達を<個人の変化>として捉えてきた。しかし,ホルツマン(2014)は,発達を他者と共に皆が発達できる環境を創造しつつ,その中で自分を創造していくことと解釈した。つまり,発達を集団での<創造していく活動>と捉えたといえる。 以上の観点から,本研究では発達を集団という単位で捉えた。そして,apを用いてメンバーが発言しやすい場を創造し,その中で発言しやすい集団へと発達する過程を検討した。方 法 2015年12月12日から13日に渡り,横浜国立大学の教職必修授業の一環で行われた宿泊実習で観察を行った。宿泊実習に参加した大学4年生及び大学院1年生計15名(男子7名,女子8名)で構成された集団を観察対象とした。このとき筆者(以後Aとする)は集団の一員であったが,当初は他のメンバーから集団のリーダーとして位置づけられていた。 この宿泊実習ではミュージカルの作成が目的として設定され,作成にあたる話し合いやリハーサルといった風景を参加者の許可のもと,ビデオカメラで撮影した。映像データ中に観察されるapによって,(1)Aの立場の変化と(2)場の雰囲気の変化が見られる場面を抽出し分析を行った。結果と考察 場面は全部で3場面抽出された。各場面におけるapの変化を発話例と共に表1に示す。 場面1は宿泊実習開始時の場面で,発言しやすい雰囲気を作るapについて,apの概念を伝えることで集団内で検討する場面であった。はじめはAの問いかけに対して反応しないというapをメンバーは取っていたが,Aが話し合いの内容を模造紙に書き出すと,Aの問いかけに対し反応を返すというapが表れた。また,メンバー同士で質問をしあうといった行動が見られた。このことから,発言しにくい場であった集団が,Aが模造紙を共同作業のツールとして使用したことによってapが変化し,発言しやすい場となったことが推察される。このときのAの立場は集団をまとめるリーダーであったと考えられる。 場面2は,ミュージカルの内容について話し合っている場面であった。この場面では,Aが話し合いの内容をまとめるために,メンバーDに模造紙の記入を依頼した。その後,話し合いが進んでいくうちにメンバーIが自発的に話し合いの内容を模造紙にまとめる行動をとった。この時から,Aの立場が集団のリーダーとしての存在から,他のメンバーと対等な存在へと変化し,メンバーがより自主的に発言や行動をとることのできる場が徐々に創造されていたことが推察される。 場面3はミュージカルの話し合いの途中で休憩を取った場面である。ミュージカルで使用する曲をIがピアノで即興演奏しだした。それに対し,周りにいたメンバーや,トイレから帰ってきたメンバーがピアノに合わせて即興で歌を歌いだし,演奏の輪が広がっていった。このことから,即興的にふるまいやすい場を集団が創造してきたことが推察される。つまり,即興に対して参加しやすい雰囲気が集団内に存在していたことが考えられる。 以上の分析より,場面1ではAをリーダーとするapによって,やや発言しにくい場が創造されていたが,場面2ではAをリーダーから対等な一員とみなすようなapが行われ,より自発的に発言しやすい場が創造されていた。さらに,場面3では即興的なことができる場が創造され,また即興的なことに参加するというapも見られた。以上のことから,apの様態そのものがその後のメンバーのapを再帰的に変化させていたことが示唆された。つまり,集団がapによって発言しやすい場を創造し,その中で発言しやすい集団へ発達していったことが示された。