著者
榊原 彩子
出版者
日本教育心理学会
雑誌
教育心理学研究 (ISSN:00215015)
巻号頁・発行日
vol.44, no.1, pp.92-101, 1996-03
被引用文献数
1

According to previous theories, effects of repeated exposure of music on pleasingness depend on uncertainty of the music. In this study, "redundancy of rhythm pattern" and "prototypicality of harmony" were manipulated as the factors of uncertainty. The purpose of the following study is to examine effects of repeated exposure on pleasingness determined by the two above mentioned factors. Subjects heard tone sequences that represented four levels of redundancy and four levels of prototypicality, and rated them on 7-point scales of "complexity" and "pleasingness". Pleasingness was shown to be an inverted U-function of redundancy and prototypicality. And then, each tone sequence was repeated and rated pleasingness after each repetition. In a case of sequence whose redundancy caused most pleasingness before repetition, pleasingness of that sequence was decreased by repetition. But, in a case of sequence whose redundancy was too low to cause pleasingness before repetition, pleasingness was seen increased by repetition. On the other hand, pleasingness determined by prototypicality was not affected by repetition, and kept initial pleasingness during repetition.
著者
石田 英子 小笠原 春彦 藤永 保
出版者
日本教育心理学会
雑誌
教育心理学研究 (ISSN:00215015)
巻号頁・発行日
vol.39, no.3, pp.270-278, 1991-09-30

The purpose of this study was to clarify (1) people's concept of intelligence in the following six cultures : Japan, Korea, China, Taiwan, Canada and Mexico ; and (2) the difference between the three following Japanese concepts : 'atamanoyoi', 'rikouna', 'kashikoi', which express "intelligent" in Japanese. The results were as follows : 1)Five-factor solution was found to be valid. They were named "sympathy and sociability", "inter-personal competence", "ability to comprehend and process knowledge", "accurate and quick decision making", and "ability to express oneself" ; 2)The factorstructures of Japan, Korea, China and Taiwan were similar to each other, but dissimilar to those of Canada and Mexico ; 3)The patterns of the correlations among the five factors were rather similar, while the variances of the factors were different between the nations concerned ; 4)The concept of 'kashikoi' was different from that of 'atamanoyoi' in that 'kashikoi' implied sociability together with cognitive ability.
著者
池上知子 高史明# 吉川徹 杉浦淳吉
出版者
日本教育心理学会
雑誌
日本教育心理学会第59回総会
巻号頁・発行日
2017-09-27

企画趣旨 2015年6月に公職選挙法が改正され,選挙権が得られる年齢が20歳以上から18歳以上に引き下げられ,2016年夏の参議院選挙から適用された。選挙運動を行うことのできる年齢も同様に引き下げられている。これを機に若者に投票所に足を運んでもらうにはどのようにすればよいか各方面で議論されている。また,受験勉強や部活動に追われている高校生や大学生に政治参加を促す主権者教育が教育現場の大きな課題となっている。一方,半数近い若者が「政治のことはよくわらない」という理由から政治参加に対して不安や戸惑いを感じているという調査結果もある。わが国の将来を担う若者が社会や政治のあり方を変える大きな力となることは歓迎すべきことではあるが,そのためには,若者自身の問題意識の深化や判断能力の向上をはかることが必要である。問題に対する表面的理解,近視眼的判断が国や社会の指針を左右することがあってはならないからである。本シンポジウムでは,日本の若者が現代社会に内包されている問題(格差・貧困・差別等)をどのように認識しているかを探り,社会の深層構造の理解と変革への動機を促す手立てについて考えてみたい。インターネット世代のレイシズム高 史明 近年の日本では,在日コリアン(日本に居住する韓国・朝鮮人)をはじめとする外国籍住民に対する差別的言説の流行が大きな社会問題になっている。こうした流行は2000年代を通して進展してきたが,2013年頃から社会的な関心も向けられるようになり,2016年の「ヘイトスピーチ解消法」の成立・施行をもたらしている。報告者はこうした在日コリアンに対するレイシズム(人種・民族的マイノリティに対する偏見・差別)の問題について,特にインターネットの使用との関連性に注目して,実証的な研究を行ってきた。本報告ではその成果を踏まえて,「若者はいかにして社会・政治問題と向き合うようになるのか」という問いの中でも,「インターネットが日常となった現在において,若者はどのような経路で社会・政治についての情報と接触するのか,それはどういった内容のものなのか,その結果若者はどのような政治的態度を持つのか」について論じる。 まず,若者層の情報獲得手段の変化,つまり新聞を読む習慣の減少とインターネットへの傾斜について,既存の調査および発表者の持つデータにもとづき紹介する。次に,インターネット上の2つのコミュニティ(TwitterとYahoo!ニュースのコメント欄)における言説の特徴についての研究を紹介し,インターネットを通じた情報接触が若者の政治的態度に及ぼしうる影響について論じる。最後に,報告者がこれまで行ってきた調査データを,「若者とインターネットとレイシズム」という観点から再分析した結果をもとに,若者は他の世代と比べてどの程度レイシズムを受容しているのか,またインターネットの利用はどのような影響を若者に及ぼしているのかを論じる。社会意識論から見た現代日本の若者-社会的なものにかかわりたがらない若者たち-吉川 徹 若者論は社会学のなかでも常に活況を呈している分野である。90年代に制服少女を語った宮台真司から,数年前の古市憲寿の幸福な若者に至るまで,若年層の新しく繊細な文化的動向は,「失われた20年」と形容される同時代の見通しにくさを端的に論じてきた。その反面,冷静に見極めると,日本社会における若者のプレゼンスはかつてないほど低下している。これは第一に,若年人口の量的な縮小による。現在の日本の若者の同年人口は,70年安保当時の若者であった団塊の世代のおよそ半数にすぎない。第二に,若者の年齢拡大がある。社会的役割や地位が未確立なアイデンティティ形成期,あるいはモラトリアム期を若者のメルクマールと考えると,非正規化,晩婚化,パラサイト・シングルなどの実態は青年期を長期化させている。政府統計や官庁の公式文書においても,かつては20歳前後であった若者の年齢幅が,いつしか35歳までとされるようになり,現在では40歳未満という見方が定着しはじめている。40歳といえば,一昔前ならば若者の親の世代にあたる。第三に,若者の集団としての画一性が失われ,ひとまとまりの文化現象を呈さなくなっていることがある。浅野智彦らはこれらの動向を受け,若者が「溶解」していると指摘する。 そんななかで,社会に対する広い視野や,人生の長いパースペクティブをもたず,自己利益だけをコンサマトリーに考える傾向が若年層で浸透している。合わせて就労,文化,政治,消費などの社会的活動の積極性も他世代より低い。さらに詳しくデータを見ていくと,これは現在の若年層に一様にみられる傾向ではなく,性別,学歴(社会的地位),地域による分断を確認できる。政治的な関心や政治的な行動には,若者内でのセグメントの分断がとりわけ顕著に表れる。一例を挙げるならば,若年・非大卒層は社会的な積極性が他の層と比べて著しく低い。しかし,かれらこそが,雇用条件の悪化や,経済的困窮,非婚化,晩婚化の当事者として政策上の支援を必要としている人びとに他ならない。本企画においては,このような若者の政治参加をめぐる不整合を検討したい。格差問題への理解を促すゲーミング杉浦淳吉 社会には様々な格差が存在している。経済格差をはじめ,学校教育には「スクールカースト」のような問題もある。格差が生じるプロセスとその葛藤および解決策をゲームによって体験しながら理解する実践的研究を紹介する。ゲーミング・シミュレーションは現実社会の問題構造を現実と切り離された安全な空間で再現し,それを体験できる環境を用意することが可能である。格差問題を扱ったゲーミングとして仮想世界ゲーム(広瀬,1997)が挙げられる。初期条件として優位な集団と劣位な集団を設定し,集団間の葛藤とその解決の学習が可能である。また,階層間移動ゲーム(大沼,1997)では,ゲーム内で階層格差を作り出し,いったん格差が生じると,それぞれの立場から問題をとらえるようになっていく。この2つのゲーミングは,格差による葛藤に対して参加者全体の合意にもとづくルール変更というオプションが用意されている点が特徴として挙げられるが,大多数にとって納得のいく提案でなければルール変更は実現されず,格差を解消するルールの導入は困難となる。これらのゲームは30~40名の規模で長時間にわたる演習が必要であるが,ここでは5~6名のグループ単位で簡便なルール設定による格差の拡大と解消,及びルールの改訂に焦点をあてるゲームの活用方法を提案する。 大富豪というトランプゲームはルールの設定の仕方により格差拡大およびその葛藤と解決を学習する演習に展開できる (杉浦・吉川,2016)。大富豪は様々なルールのバリエーションが存在するが,格差拡大のルールは実際に順位の変動を小さくし,また逆転機会を提供するルールは順位の変動を大きくしており,ルール設定の仕方次第で格差の固定化・流動化が可能となる。グループ間でルールの異なるゲームを設定した演習を行うと,各々体験したゲームが表す社会が閉鎖的か否かといった評価に違いがみられた。ルール改正の話し合いにおいて,リーダーと認識されたプレーヤのリーダーシップタイプと新ルールの評価の関連を検討したところ,リーダーが民主的であると認識されていたグループの方が,リーダーが放任的あるいは専制的であると認識されていたグループよりも,ルール変更により逆転のチャンスが増えたと評価していた。若者の多くによく知られ楽しまれているカードゲームを格差問題の理解につなげる学習ツールとして展開するための方法と効果について討論する。
著者
松本 じゅん子
出版者
日本教育心理学会
雑誌
教育心理学研究 (ISSN:00215015)
巻号頁・発行日
vol.50, no.1, pp.23-32, 2002-03-31
被引用文献数
1

本研究では,大学生を対象に,悲しい時に聴く音楽の性質や,聴取前の悲しみの強さと音楽の感情的性格による悲しい気分への影響を調べた。予備調査の結果,悲しみが強い場合ほど,暗い音楽を聴く傾向が示され,悲しみが強い時に悲しい音楽を聴くと悲しみは低下するが,悲しみが弱い時に悲しい音楽を聴くと悲しみが高まる,または変化しないことが予測された。実験1,2の結果,音楽聴取後の悲しい気分は,音楽聴取前の悲しみの強さにかかわらず,聴いた音楽によって,ほぼ一定の強さに収束した。結果的に,非常に悲しい時に悲しい音楽を聴いた場合,音楽聴取後の悲しい気分は低下し,やや悲しい時には変化しないことが示唆された。つまり,悲しい音楽は,悲しみが弱い時には効果を及ぼさないが,非常に悲しい気分の時に聴くと悲しみを和らげる効果があり,状況によっては気分に有効に働くことが推察された。
著者
織田 揮準
出版者
日本教育心理学会
雑誌
教育心理学研究 (ISSN:00215015)
巻号頁・発行日
vol.18, no.3, pp.38-48, 1970-09
被引用文献数
14

This study is on the developmental changes in meanings of the Japanese qualitative and quantitative words (most of them are adverbs) by means of the paired-comparison method. The qualitative and quantitative words are classified on the basis of the following four categdries of meanings : (1) 18 words which express degree of common things (TEST I) ; sugoku, hljoni, taihen, totemo, kanari, etc. (2) 16 words which express degree of probability (TEST II) ; zettaini, kanarazu, kitto, tashikani, tabun, etc. (3) 16 words which express degree of frequency (TEST III) ; itsumo; yoku, tabitabi, tokidoki, mareni, etc. (4) 18 words which express degree of psychological time-distance (TEST IV) ; a. 10 words which express the future ; suguni, imani, mamonaku, yagate, etc. b: 9 words which express the past : toni, senkoku, sakihodo, ima, etc. The subjects are required to answer the following questions.
著者
植木 理恵
出版者
日本教育心理学会
雑誌
教育心理学年報 (ISSN:04529650)
巻号頁・発行日
vol.47, pp.98-108, 2008

本論文は掲載取り消しとなりました。<BR>2013年2月3日 一般社団法人日本教育心理学会
著者
原谷 達夫 松山 安雄 南 寛
出版者
日本教育心理学会
雑誌
教育心理学研究 (ISSN:00215015)
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.1-7, 1960-06-30

1.12の民族的国家的集団に対する大阪市在住学徒のステレオタイプが質問紙法によって求められ,各集団ごとに上位5特性を表示した。2.Katz & Bralyの手法により,中学生,高校生,大学生という標本群ごとにステレオタイプの一致度指数を求め,それぞれ.24,.28,.26という平均値を得た。3.民族的好悪感情の順位を測定した結果から,ステレオタイプを通して示された好意性との関連を考察した。とくに注意されたのは,日本人学生の自己帰属感における知的感情的両側面の不一致である。4.対照的な結果として朝鮮人に対するステレオタイプの非好意性と選択順位の低さとの合致が指摘され,検討が加えられた。5.われわれが得た成果を理論的に次の2点に集約してみた。i)本邦楽徒の一致度指数があまり高くない根拠としては,知的文化という面のほかに,民族的無関心という面が指摘されよう。ii)欧米的資本主義的先進国に対する日本人学徒の劣等感は,朝鮮人のステレオタイプ像へ投射される可能性があり,客観的理性にもとづく認識により偏見を克服する必要が感じられる。
著者
水品 江里子 麻柄 啓一
出版者
日本教育心理学会
雑誌
教育心理学研究 (ISSN:00215015)
巻号頁・発行日
vol.55, no.4, pp.573-583, 2007-12-30

日本文の「〜は」は主語として使われるだけではなく,提題(〜について言えば)としても用いられる。従って日本文の「〜は」は英文の主語と常に対応するわけではない。また,日本語の文では主語はしばしば省略される。両言語にはこのような違いがあるので,日本語の「〜は」をそのまま英文の主語として用いる誤りが生じる可能性が考えられる。研究1では,57名の中学生と114名の高校生に,例えば「昨日はバイトだった」の英作文としてYesterday was a part-time job.を,「一月は私の誕生日です」の英作文としてJanuary is my birthday.を,「シャツはすべてクリーニング屋に出します」の英作文としてAll my shirts bring to the laundry.を提示して正誤判断を求めた。その結果40%〜80%の者がこのような英文を「正しい」と判断した。これは英文の主語を把握する際に日本語の知識が干渉を及ぼしていることを示している。研究2では,日本語の「〜は」と英文の主語の違いを説明した解説文を作成し,それを用いて高校生89名に授業を行った。授業後には上記のような誤答はなくなった。
著者
菊池聡 石川幹人#
出版者
日本教育心理学会
雑誌
日本教育心理学会第57回総会
巻号頁・発行日
2015-08-07

科学的な主張の外観がありながら,実際には適切な科学的な方法論が適用されていない誤った主張や言説は,疑似科学やニセ科学と呼ばれる。日本では血液型性格学やマイナスイオンなどがその代表とされる。疑似科学信奉は,迷信や占い信奉などと並んで,超常信念(paranormal belief)の一つと位置付けられる。こうした超常信念は,しばしば科学的知識や合理的思考の欠如と関連づけられるが,一方で合理的・適応的な役割も担うことも指摘されている(菊池,2012)。 疑似科学が一般社会もたらす深刻な問題の一つとして,疑似科学にもとづく一部の補完代替医療や健康法などが無批判に信用され,健康被害が引き起こされることがある。こうした健康法・健康食品の利用は,高齢者にとって強い関心事といえるが,石川(2009)の調査では,新聞に掲載される疑似科学的広告の9割以上が健康食品を扱っているという現状がある。 高齢者の超常信念は青少年と異なる特徴を持つことは松井(2001)や菊池(2013)などで示されているが,心理学領域での超常信念の研究は,合理的思考と対比される文脈で,青少年を対象として行われることが多かった。そこで,本調査では,現実に,科学的に根拠の無い(効果の疑わしい)医療や健康法のユーザーとなりうる高齢者を対象として,科学的な立場からの批判が受け入れられにくい背景要因について検討を行った。方法調査協力者 シルバー人材センター登録者で会員研修会に参加した585名に調査用紙への回答を依頼し,郵送法で回収した。有効回答者,267名。年齢は61歳から88歳まで。平均71.5歳(SD=4.9)。質問紙・日常生活での健康への態度 健康状態や,健康法・健康診断への取り組み,メディアを通した健康情報の収集などについて尋ねた。11項目5件法。・疑似科学的言説への態度 「マイナスイオンを使った器具で健康状態が改善できる」など,疑似科学的主張や,健康食品の効能,科学的気象予測など計7種類の主張に対して,それぞれ「信頼できる↔信頼できない」「興味がある↔興味がない」「科学的↔非科学的」の各5件法。信頼性の評定を疑似科学信念得点とした。・科学的懐疑への態度 『自分が愛用している健康食品や健康法に対し科学的な根拠がはっきりしないのではないか,という意見を聞かされた』場面を想定させ,そこで取る態度について尋ねた。「根拠を知ろうとする」「感情的に反発する」「自分の実感を信用する」など7項目5件法。・その他,迷信への態度や科学への態度など。結果 疑似科学的主張への信頼度(肯定率)を,菊池(2013)の同県内高校生データと比較すると,血液型(高齢者肯定率25%)はほぼ同等だが,マイナスイオン(15%)や地震雲(27%)の肯定率は半分程度であった。また,疑似科学の信頼性評定は科学性評価と.r=65~.75の相関があり,高齢者はこれらを迷信としてではなく科学性をもとに信頼度を評価していることが示された。 「科学的懐疑への態度」項目を因子分析によって「情報探索」「感情的反発」「失望」「無関心」の4尺度とし,日常の健康への態度や疑似科学信念との関連を重回帰分析によって求めた(Table.1)。その結果「情報探索」は,「日常的健康情報収集」「性別(男性)」と有意な関連があった。一方,「反発」「失望」「無関心」といったネガティブな態度は,すべて「疑似科学信念」と正の関連性が示された。その他の健康への態度や,迷信態度,年齢などとの関連性は見られなかった。考察 科学的立場からの懐疑論や疑似科学批判は,しばしば科学的根拠の乏しさや不十分さを批判するパターンを蹈襲する。しかし,高齢者はある種の科学性にもとづいた理性的判断のもとで疑似科学信念に至るがゆえに,批判的な指摘に対して,判断の誤りを指摘されたようにとらえ,ネガティブな反応をする傾向があると推測できる。これは有効な科学コミュニケーションのあり方や現代社会の問題としての疑似科学を考える上で重要な示唆となりうるものである。
著者
南風原 朝和 芝 祐順
出版者
日本教育心理学会
雑誌
教育心理学研究 (ISSN:00215015)
巻号頁・発行日
vol.35, no.3, pp.259-265, 1987-09-30

Three probabilistic indices were proposed for interpreting major types of statistical results obtained in behavioral research:the probability of concordance as an index of correlation, and two versions of the probability of dominance being indices of mean difference in the case of randomized and paired data, respectively. Charts for finding confidence intervals for their population values were provided. The relationships of these indices with certain nonparametric statistics were also noted.
著者
森永康子 大渕憲一# 池上知子 高史明# 吉田寿夫 伊住継行
出版者
日本教育心理学会
雑誌
日本教育心理学会第61回総会
巻号頁・発行日
2019-08-29

社会心理学分野でも学校現場でも,「差別」をなくそうという試みは長い間続いている。しかしながら,「差別」はそうした努力をあざ笑うかのように,時代とともにそのターゲットや形を変えながら,連綿と存在している。このシンポジウムでは,今一度,基本に戻り,そもそも人はなぜ公正になれないのか,そして,なぜ差別がなくならないのかを考え,形を変えた現代の差別の特徴をもとに,「差別」を学校現場でどのように扱うことができるのかを考えてみたい。公正感の起源と差別大渕憲一 心理学では,自己利益を基本的動機付けと仮定する合理的人間観に立って仮説を立て,研究を進めてきたが,人間の感情や行動がこれ以外の関心によっても規定されることを示す証拠は少なくない。例えば,報酬分配の経済行動ゲームにおいて「好きなように分配していい」と言われているにもかかわらず,分配者は自分の取り分を減らしてまでパートナーと半々に分けようとするし,パートナーもまたそれを期待する。こうした行動は,人々が「人は公平に扱わなければいけない」「自分も人から公平に扱われたい」という公正関心を持っていることを示唆している。子どもたちに対して経済行動ゲームを模した実験を実施した発達心理学者たちは,学童期の子どもたちの行動には公正関心の実質的影響が見られることを示してきた(Fehr et al., 2008)。更に,近年は霊長類を被験体にした類似の実験も試みられ,普段から群れを成して暮らし,採食や防御に協力しあう種においては公正感に基づくと解釈される行動が観察されるとの報告がある(Horner et al., 2011)。これらの知見は,仲間を平等に扱おうとし,また自分が不平等に扱われることには反発するという公正関心がかなり原初的なものであることを示唆している。公正関心の起源を探るこうした研究者たちは,これを仲間同士の協力関係の形成・維持のために進化した心的特性であるとみなしている(Brosnan & de Waal, 2014)。人間や霊長類には血族関係を超えた協力行動が見られ,それは個体の生存と種族の保存にとって有益なものである。しかし,協力関係の維持には資源の適正配分が必要で,コストを負担せず利益だけを享受(ただ乗り)しようとする利己的個体は協力関係から排除される。排斥を避け,協力的であるとの評判を維持するために,個体には協力行動が必要とされる場面以外でも仲間を公平に扱おうとする志向性が発達したとされる。この論に従うなら,公正関心は本来,協力関係を形成しうる仲間に対して向けられるものである。実際,Fehrたちによると,スイスの子どもたちは,同じ施設の顔見知りの子どもたちに対しては平等分配を選択する割合が高かった。このことは,子どもたちが仲間以外を不平等に扱うことには余り抵抗を感じないことを示しており,そこに差別的行動を生み出す心理的素地を見て取ることができる。しかし一方で,公正関心は,他者の期待や不満を察知するという認知能力の発達を基盤にしており,それは仲間という社会的範疇を超えて公正関心が拡張される可能性を示唆するもので,差別を乗り越えるこうした観点からの実証研究と議論が期待される。差別はなぜなくならないのか:平等主義のパラドクス池上知子 2016年7月に起きた相模原事件は,社会に遍在するさまざまな差別・偏見問題の解消をめざして,これまで積み上げてきた営みを根底から覆されたような暗澹たる思いをわれわれにもたらした。それは,半世紀を優に超えるはるか以前に明確に否定されたはずの思想,差別の正当化につながりかねない危うい思想を彷彿させる事件であったからであろう。また,人権教育が行き届き,平等主義的価値観が共有されているはずの現代社会においても,ことあるごとに物議を醸す差別的言動が日常的に頻発している。このような現実を前にすると,人間社会から差別をなくすこと,もしくは人々の心の中から差別意識や差別感情を取り除くことがいかに困難であるかを痛感させられる。 社会心理学は,その黎明期より差別・偏見問題にさまざまな角度からアプローチしてきたが,そこで示される知見も総じて悲観論が優勢である。池上(2014)は,これまでの社会心理学が差別・偏見問題にどのように向き合ってきたかを振り返り,なぜ悲観論に傾きがちになるのかを考察している。そこでは,差別・偏見の解消がむづかしいのは,「差別的行動や偏見に基づく思考は,人間が環境への適応のために獲得した正常な心理機能に根差していること,その機能はわれわれの意識を超えた形で働くため,これを統制することがきわめて困難」(133頁『要約』より)であるからだと指摘している。加えて,「それにもかかわらず,社会心理学はそれらを意識的に制御することを推奨してきたことが,問題をさらに複雑にする結果となっている」(133頁 『要約』より)と論じている。換言すれば,偏見や差別は,人間にとって根源的欲求である認識論的欲求や自尊欲求の充足のために,また情報処理の効率化のために編み出された種々の心理機制(社会的カテゴリー化や集団自己同一視,二重処理システム等)の必然的帰結とも言える。このことは,個人の倫理観や道徳感情に訴えかける平等主義教育には限界があり,場合によっては,逆効果すらもたらしかねないことを意味している。本報告では,そうした議論を踏まえつつ,それでもなお,問題の解決に向けて前へ進むためにはどのような手立てがあるかを考えてみる。池上(2014)では,楽観的見通しを与えてくれる研究動向として,潜在認知の変容可能性と間接接触の功用を挙げているが,それらに共通するのは,人間の本性に抗うことなく自然に寄り添う形での介入の有効性を示唆している点である。本報告では,差別・偏見研究が悲観論から楽観論へ転換する契機について,報告者自身がかかわっている研究例を交えながら議論したい。引用文献池上知子(2014)差別・偏見研究の変遷と新たな展開-悲観論から楽観論へ- 教育心理学年報, 53, 133-146.新しい偏見とヘイトスピーチ(差別扇動表現)高 史明 近年の日本では,在日コリアン(日本に居住する韓国・朝鮮籍の人々)など外国籍住民に対するヘイトスピーチ(差別扇動表現)が氾濫し,深刻な社会問題となっている。こうした事態を受けて,2016年には「ヘイトスピーチ対策法」(「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」)が成立・施行された。この法律は,国および地方公共団体に対して,「本邦外出身者に対する不当な差別的言動を解消するための教育活動を実施するとともに,そのために必要な取組を行うよう努める」ことを課している。こうした状況において,教育に携わる者には,外国籍住民に対する偏見や差別がどのような形で表れるのか,どのように獲得されあるいは伝達されるのかといった知識が今まで以上に求められるようになっている。 そこで発表者はまず,アメリカでの黒人に対する人種偏見の研究の中で提唱された「現代的レイシズム」に特に注目し,現代社会における人種・民族偏見の様相を論じる。このレイシズムは,①差別は既に存在しない,②したがって黒人が低い経済的地位に留め置かれているのは差別のためではなく本人たちの努力不足によるものである,③にもかかわらず黒人はありもしない差別に対する抗議を続け,④不当な特権をせしめている,という4つの相互に関連する信念にもとづいている。こうしたレイシズムは,人権教育の場面でおそらく想定されている種類の露骨なレイシズム(「黒人は劣っている」といった信念にもとづくもの)とは異なるものである。 また,「現代的レイシズム」は黒人に対する偏見を捉えるために提唱された概念であるが,その後,女性や性的マイノリティに対してもそれに相似する偏見が存在することが示されている。「現代的偏見」と総称されるこれらの偏見は,低い地位に置かれてきた様々なマイノリティの権利が伸張したときにマジョリティが抱く反感と,それにもとづく差別的言説を捉える上で非常に有用である。 これらの現象についての先行研究を踏まえた上で,ヘイトスピーチの問題に対して学校教育は何ができるのかを論じる。
著者
鈴川 由美 豊田 秀樹 川端 一光
出版者
日本教育心理学会
雑誌
教育心理学研究 (ISSN:00215015)
巻号頁・発行日
vol.56, no.2, pp.206-217, 2008-06-30
被引用文献数
1

わが国の生徒は数学の知識や技能を日常生活の場面で活かす能力が弱いと言われている。OECDが実施している生徒の学習到達度調査(PISA)は,このような生活に関係する課題を活用する能力を測ることを目的とした国際的な学力調査である。この調査の結果から,他の国と比較したわが国の特徴を分析することができるが,国の成績の順位や各項目の正答率はその国の教育水準を反映するため,知識を日常場面で活かす力という観点からはそれを直接比較することはできない。本論文では,PISA2003年調査の「数学的リテラシー」の結果を反応パターンから分析し,多母集団IRT(Item Response Theory)によるDIF(Differential Item Functioning)の検討を行うことで,それぞれの国に所属する同一水準の学力の生徒の反応パターンの違いを明らかにした。分析の対象は,オーストラリア,カナダ,フィンランド,フランス,ドイツ,香港,アイルランド,イタリア,日本,韓国,オランダ,ニュージーランド,アメリカの13か国である。分析の結果,この13か国のうち,わが国は最も特異な困難度のパターンを持っているということが明らかになり,またその特徴として,日常生活に関連する項目を解く力が弱いということが示された。
著者
吉田寿夫 村井潤一郎 宇佐美慧 荘島宏二郎 小塩真司 鈴木雅之 椎名乾平
出版者
日本教育心理学会
雑誌
日本教育心理学会第61回総会
巻号頁・発行日
2019-08-29

現状に対する憂いと企画趣旨吉田寿夫 SEM(structural equation modeling:構造方程式モデリング)ないし共分散構造分析と呼ばれる統計手法は,この30年ほどの間,心理学を始めとする多くの研究領域において多用されてきた。それは,既存の多くの分析法を包括する大規模なものであるとともに,コンピュータなしでは行うことができない,ほとんどのユーザーにとって「計算過程がブラックボックス化している」と言えるであろうものである。 筆者は,論文の審査などを行うなかでSEMを用いている論文を多々読んできたが,率直に言って,「へえー」とか「なるほど」といった感覚を生じさせてくれる脱常識性が高いと判断されるものや,著書などで引用したり授業で紹介したりしようと思うものに遭遇したことがない。そして,そればかりか,おそらくはSEMの数学的な高度さに惑わされて,その力を過大視し,不当な結論を一人歩きさせていると言えるであろう状態が蔓延っているように感じている。 主たる問題は,多くの専門家が「SEMは基本的に因果関係を立証する力を有するものではない」ことについて警鐘を鳴らしてきたにもかかわらず,ユーザーの側がこのことをきちんと踏まえていないことにあると考えられる。そして,このことに関連して「予測と因果の混同」と言えるであろう事態が散見されるとともに,「適合度への過度の注目」,「適合度の評価における論理的必然性がないであろう基準の無批判な受け入れ」,「(重回帰分析におけるR2に相当する)説明力の非重視」,「パス係数の評価における統計的検定への過度の依拠」,「潜在変数間の関係の検討における希薄化の不適切な修正」,「測定の妥当性に関わる問題の軽視」,「個々人における心理過程の究明であることを踏まえない,個人間変動に基づく検討」などといった問題が指摘されてきた。 本シンポジウムでは,以上のような現状を踏まえ,SEMの有効性の過大視・不適切な適用や弊害の発生の抑制,適切な適用の促進といったことを目的として,現実の適用において散見される種々の問題事象を提示して,それらについて議論するとともに,SEMならではだと考えられる優れた適用例を提示して,SEMを用いることのメリットについて議論する。そして,そのうえで,適切な適用を促進し,不適切な適用を抑制するための方策について提言することができればと考えている。SEMの営為の根本を見つめなおす荘島宏二郎 SEMの最大の魅力は,何と言っても分析結果の視覚的了解性の高さである。端的に言って,パス図(path diagram)を用いたデータの要約結果,すなわち「情報の可視化(information visualization)」に優れている。SEM以前は,t検定・分散分析・回帰分析・因子分析が主な分析手法であったが,それらは,大抵,表によって結果が表示されていたため,パス図による現象の描写力の高さに多くの研究者が魅力を感じた。 また,計算機の高度化が手伝い,従来,理論的には考えられていたが,エンドユーザの計算機ではなかなか実現することが難しかったカテゴリカルデータ解析・多母集団分析・潜在クラス分析・マルチレベル分析・欠測データ分析などの「重たい」分析手法が,SEMというプラットフォームで花開いた。 今や,単なる「共分散構造」分析ではなく,それらの諸分析も含めての構造方程式モデリング(SEM)である。SEMに万能感を抱く研究者・分析者も多いのではないだろうか。 ほかにも,SEMの普及により,科学的意思決定がほとんどp値一辺倒だった時代から,適合度指標や自由度を総合的に見ていくという科学的態度を養うことに貢献したことも大きい。 反面,SEMの普及に伴い,肥大したSEMに対する信頼に基づく「因果に関する誤った言及(限定的に言及できる場合があるが)」や,SEMに関する不識・不案内に基づく「誤差間共分散の乱用」,「甘い適合度指標への過度の依存」,「パス図におけるトポロジカルな配置と印象操作」など,様々な改善すべき問題点がある。 さらに,SEMもまた方法論であることを考えると,本質的に複雑であり,超高次元多様体であるかのような現象のある一面を切り取ってくるものでしかない。当然,SEMの分析だけで現象を理解することはできず,他の方法と組み合わせて(方法論的多次元主義),現象を立体化しなくてはいけないが,SEMを過信する者ほど,往々にしてそういう態度は希薄である。 本報告では,心理統計学の専門家の観点から,統計分析という営為の本質に踏み込みつつ,「SEMが何をしているものか」ということについて試論(私論)を述べたい。SEMを使って論文を書くことについて小塩真司 正直なことを言うと,SEMや共分散構造分析を使って論文を書くことはそれほど多いわけではない。おそらく,自分がかかわる研究においてもっとも使う頻度が多い使用方法は,確認的因子分析であろう。その他の手法は,その研究の文脈に応じて使うことはあっても,無理に使ったという印象は少ない。また,おそらく探索的な検討が多いこともあるように思われる。 これまでSEMを用いた論文の査読などをしていて,いくつか気になることがあった。たとえば探索的な研究過程でSEMを用いること,それほど必然性が感じられないような場面で用いること,強固な目的があるわけではなく単にエクスキューズのためではないかと思わせる場面で使われていること,ここで使わないよりも使ったほうが採択率の上昇が見込めると考えているのだろうなという著者の意図が見えてしまうこと,などである。これらは決して糾弾されるような用いられ方ではない。現実として,特定の研究領域において新たな統計手法を用いることは,方法論上のアドバンテージと考えられて論文の採択率を高めるであろうし,研究者もそのことを念頭に分析をする可能性はある。 では,多くはない私自身の経験の中で,どのようにSEMを用いたのかを例示してみたい。第1に,確認的因子分析である。特に,複数の国を対象とした調査において,国をまたいでおおよそ同じ因子構造が見られるかどうかを多母集団解析で検討したことがある。この場合,測定不変性(measurement invariance)について検討することになる。そこには,因子と観測変数の配置が群間で等しいこと(configural invariance),因子負荷量が群間で等しいこと(metric invariance),観測変数の切片が群間で等しいこと(scalar invariance),観測変数の誤差分散が群間で等しいこと(residual invariance)という複数のレベルがあり,どのレベルまで満たされるかを検討することになる。第2に,縦断データの分析である。その中の1つは交差遅延効果モデル,もう1つは潜在成長曲線モデルである。縦断的なデータを分析する際に,SEMはその有用性を発揮するように思われる。 本報告では,査読経験と論文執筆経験の両面から,SEMの使用方法について考えてみたい。自身の研究におけるSEMの適用を振り返って鈴木雅之 発表者がSEMを適用した研究の多くは,大学院生時代に行われたものである。発表者が修士課程に入学した2008年の前後には,SEMを用いた研究が多くみられ,学部の授業ではSEMについて詳しく学ぶ機会がなかったことから,当時の発表者にとってSEMは最先端の分析手法であり,その可視性の高さから非常に魅力的なものにみえた。当時の自身の研究を振り返ってみると,「SEMを使ってみたい」という気持ちが先行しており,SEMのメリットを十分に活かした研究はできていなかったというのが,正直なところである。 発表者は大学院生時代,テストが学習動機づけや学習方略の使用に与える影響に関心を寄せていた。テストについては,内発的動機づけの低下や,目先のテストを乗り越えることだけを目的とした低次の学習が助長されるなど,その否定的な側面が強調されることが多い(e.g., Gipps, 1994)。一方で,テストが一種のペースメーカーとなることで計画的な学習が促進されたり,テストによる達成度の把握や学習改善が促進されたりするなど,テストには肯定的な側面もあることが示されてきた(e.g., Hong & Peng, 2008)。このように,テストの影響というのは一様ではなく,個人差がある。 テストの影響の個人差を説明する要因の1つとして,テストに対する学習者の認識(テスト観)に焦点が当てられてきた(e.g., Struyven et al., 2005)。つまり,あるテストが実施されることで学習者が受ける影響は,学習者がそのテストをどう捉えたかによって異なることが示唆されてきた。発表者は,テスト観が学習動機づけや学習方略の使用とどのような関連を持つかについて,質問紙調査や実験授業を行い,分析手法の1つとしてSEMを適用することで検討してきた。たとえば鈴木(2011)は,評価基準と学習改善のための指針を明確にしたフィードバックが学習動機づけと学習方略の使用に与える影響を,テスト観が媒介している可能性について検討した。また鈴木他(2015)は,縦断調査を行い,学習動機づけの変化とテスト観の関係について検討した。 本発表では,自戒の意味も込めて,これら一連の研究におけるSEMの適用を振り返りながら,SEMの適用方法について議論していきたい。