著者
木本 幸憲
出版者
社会言語科学会
雑誌
社会言語科学 (ISSN:13443909)
巻号頁・発行日
vol.23, no.2, pp.35-50, 2021-03-31 (Released:2021-05-29)
参考文献数
50

言語学では1990年代から消滅の危機に瀕する言語についての研究が精力的に行われ,言語ドキュメンテーションや言語復興運動など関連する取り組みも盛んに行われている.本論文ではこれに対し,本来多面的で複雑な事象であるはずの危機言語の問題が過度な単純化を持って取り扱われてきたことを明らかにする.ここでは事例研究として,フィリピンにおいて,10人の母語話者によってしか話されていないアルタ語を取り上げ,その社会言語学的活性度と消滅のプロセスを詳述する.具体的には,アルタを取り巻く多言語社会では,国語,公用語ではなく,相対的に大きな言語コミュニティの言語へのシフトが起こっていること,その言語シフトには,同じ狩猟採集民であるという文化的アイデンティティが関与していることを明らかにする.さらにアルタにとっての言語シフトは,周辺のマジョリティに柔軟に対処するために戦略的に選択されていることを論じ,危機言語を悲観的に評価する従来の態度は相対化されるべきであることを指摘する.