著者
李 宗泰
出版者
Center for Global Initiatives, Osaka University
雑誌
アジア太平洋論叢 (ISSN:13466224)
巻号頁・発行日
vol.24, no.1, pp.207-231, 2022 (Released:2022-03-26)

本稿は映画シリーズ『欲望の街・古惑仔』のなかで、相互の交渉し合いながら「法秩序」を構成する侠客と警察官の行動、言説及び思考を、ミシェル・ド・セルトーの「弱者の戦術」という観点から考察する。従来の秩序が新たな秩序に組み換えられる過渡期において、社会秩序のあり方は、市民が新たな権力による秩序に関わることができるか否かということがまずもって問題となる。フィルムに表現される侠客と警察官の双方が着地点を求めて折り合うプロセスは、それぞれ市民が持つ二つの側面を代表しながら、イギリスから中国への統治権の移譲の埒外に置かれた香港市民が権力による一方的な秩序のなかに、果たして自らの秩序を見出し得るかという問いかけでもある。 本稿は「法秩序」の構成要素である「『縄張り』の統制」、「情報収集能力」及び「法秩序の進展に基づく侠客側の損得勘定の変化」という3つの観点から、返還直後の香港人が思い描く社会秩序についての投影を分析する。 警察官の管轄能力は「『縄張り』の統制」と「情報収集能力」によって決まる。しかし、法執行者にとって望ましい法と秩序を生じさせるのは、警察官だけではなく、侠客による暗黙理の服従を必要としている。その服従の正体は主人公の価値観にも関わりながらも、決定的要素は服従という行為を支える「損得勘定」である。 物語が進展するにつれ、警察官が行使する法と秩序は社会統制を強めていく。そうしたなか侠客は、これまで通り伝統なギャングを続ける者と、法的な秩序を全面的に支持するビジネスマンと、アンダーグラウンドの秩序に生きる反抗者に分かれ、警察官の目の届くところでは、法的な言語を用いて合法的なビジネスを行いつつ、法と秩序の管轄の外では、アンダーグラウンドの秩序を維持する。そこには、ミシェル・ド・セルトーの言う「弱者の戦略」の機微が見られる。本映画シリーズは香港返還の直前にブレークした。「地下」、すなわち、新しい秩序が届かない場所とは、当時の香港人にとっての社会生活の暗喩となっていると考えられる。