著者
李 尚珍
出版者
山梨英和学院 山梨英和大学
雑誌
山梨英和大学紀要 (ISSN:1348575X)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.51-64, 2009 (Released:2020-07-20)

本稿では、「白樺派」として西洋芸術に心酔していた柳宗悦が朝鮮・東洋芸術への美的関心を転換していく過程について、浅川兄弟との繋がりを中心に考察し、柳と朝鮮伝統芸術との関係をより明確にする。柳は、朝鮮在住の浅川兄弟と出会ったことによって、朝鮮伝統芸術の美に目覚め、工芸品の蒐集活動ならびに窯跡現地調査を通して、現場を見据えた研究方法を見出した。そして、柳と浅川兄弟は、自然と人間にはおのずからそれらにふさわしい場所、すなわち「適地」というものが存在するという<思想>を具体的に実現するために、「朝鮮民族美術館」の設立運動に取り組んだ。さらに、その運動を通して、柳は、木喰仏像の<もの>とその作者・木喰上人の<ひと>に出会い、ここに日本における民芸運動の出発点とその発展可能性を確信した。そこには柳の朝鮮伝統芸術の研究活動において育まれた<偶然と直覚>が民芸運動の要素となり、西洋と東洋を超越する普遍的な美的感覚を織り成していた。最近相次いで韓国の歴史教科書に柳と浅川巧が取り上げられたり、当時「朝鮮民族美術館」の設立運動に好意的な立場であった東亜日報社主催で、韓国初の柳展「文化的記憶-柳宗悦が発見した朝鮮と日本」が開かれたりして、韓国人の強い関心を集めた。このことは朝鮮伝統芸術の研究活動において、柳が東西の区別を越えた普遍的な美観を提供したように、今日の韓国人に昔今の区別を越えた普遍的な美観を形成するきっかけを与えるだろう、と筆者は考える。