著者
野口 康彦
出版者
山梨英和学院 山梨英和大学
雑誌
山梨英和大学紀要 (ISSN:1348575X)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.105-113, 2009

本稿の目的は、大学生におけるデートDVと共依存の関係性について検討するものである。デートDVにおいては、共依存傾向の高い人ほど、その中でも特に女性は、DV被害に遭う可能性が高いのではないのだろうかと考えた。ある私立大学の福祉系学科の大学生に対して質問紙による調査を行い、61名の有効回答を得た。結果として、共依存傾向の高い人ほど、デートのときにパートナーからDVを受けている傾向があることがわかった。さらに、男女別で分けた場合、女性の方がパートナーから暴力的な言動や行為を受けやすいことが明らかになった。
著者
千 錫烈
出版者
山梨英和学院 山梨英和大学
雑誌
山梨英和大学紀要 (ISSN:1348575X)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.A121-A135, 2010 (Released:2020-07-20)

公共図書館の利用について、アメリカでは多くの訴訟事例がある。本稿ではこうした訴訟事例から、「迷惑行為」と呼ばれる5つの行為、(1)図書館の目的外利用 (2)服装規定 (3)インターネットなどのコンピュータの利用(4)セクシャルハラスメント(5)宗教団体・政治団体による会議室の利用に関する判例を取り上げ、法律上の線引きをどのようにして規定しているかの検討を行った。その結果、「公平な施行」「利用者への通知」「適正手続き」の3つが判例の基準になっている事を指摘した。また、これらの判例は公共図書館の利用規則の内容について争うものであり、利用規則の重要性も明らかになった。そこで、「社会資本」の概念に立った利用規則作成の指針を示し、具体的な処方箋を提示した。
著者
宅間 雅哉
出版者
山梨英和学院 山梨英和大学
雑誌
山梨英和大学紀要 (ISSN:1348575X)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.A9-A40, 2011 (Released:2020-07-20)

古英語hamm はイングランドの地名を構成する重要な要素の一つで,「囲い地」「河畔の低地草地」「突起地形」「河川の湾曲部」「島状・谷状地形」を意味する.この古語に由来する地名は,通常語末の綴りが-hamとなり,大半がイングランド南部,とりわけ南東部と南西部に多く分布する.ただ多義的であるが故に,hammがいかなる意味で語源に関与するかによって,これらの地名は異なる分布状況を見せる.また初期には「河川の湾曲部」「河畔の低地草地」の意味で関与する場合が多いが,最盛期には「囲い地」の意味で関与するものが過半数を占める.文献初出年の新旧によって分布の推移を追跡すると,まず南東部に最初の分布が見られ,続いて中西部,中東部,南西部の順で分布域が拡大する.この推移は,『アングロサクソン年代記』に記されたウェセックス王国の版図拡大史にほぼ一致する.
著者
小菅 健一
出版者
山梨英和学院 山梨英和大学
雑誌
山梨英和大学紀要 (ISSN:1348575X)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.1-14, 2006

〈ことば〉="言語"の持っている〈イメージ〉喚起力という、"映像"性をめぐる表現ということで、《言語映像》論と措定して、言語芸術である文学作品の読みの活性化を計るために、活用していくのだが、〈ことば〉を〈ことば〉で読み解いていく限界があるので、その理論を相対化しつつ、相乗効果を発揮させる新たな視座として、"映像"が持っている"言語"的な表現を《映像言語》論として、それぞれの表現特性や両者の相関性の分析を基本にして、言語芸術と視覚芸術の関係(コラボレーション、オリジナルとコピー)において見出すことの出来る、可能性と限界を明らかにした。そして、《言語映像》と《映像言語》において論じる"映像"が、位相の異なるものであるということから、同じパラダイムで論じるための枠組みの再構築ということで、第三の"映像"として、アニメーションの画の存在に着目して、小説・実写映画・アニメーション映画をめぐる"映像"の相関性の考察に踏み込み、ジャンルを横断して三つのメディアを自由自在に使い分けている表現者として、押井守という存在に辿り着くことで、《言語映像》と《映像言語》の次の段階へ向けての前提作業を行なった。

3 0 0 0 OA 全能の神

著者
深津 容伸
出版者
山梨英和学院 山梨英和大学
雑誌
山梨英和大学紀要 (ISSN:1348575X)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.A25-A30, 2008 (Released:2020-07-20)

聖書が語る神が「全能者」であることは、日本人にもよく知られている。というよりも、そのことが定着している現代においては、「神」という言葉を口にし、「神」という存在を想い浮かべるだけで、無意識に、(有神論者はもちろん、無神論者にとっても)目に見えない全能の神として把握されているのではないだろうか。これはキリスト教の宣教の結果によるものであり、それまでの日本人にとっては、「神」は神々の総称であり、神も仏も同列であって、人間を超えた存在ではあっても、全能というほど力あるものでも、絶対的なものでもなかった。古代イスラエルでは、拝一神教(神々の中で、一つの神のみを自分の神とする)であったので、存在自体も、力においても、超越性は高いものであったが、それは相対的なものであって、絶対的なものではなかったと考えられる。つまり、神にも不可能が存在していることは、人々も知っていたのである。むしろ、彼らにとって、神は人間に常に目を注ぎ、関わり続け、人の喜び、悲しみを自らのものとして受けとめ、ともに歩む存在なのである。本稿は、今や常識中の常識である「全能者」という概念がどのように生じたかを明らかにし、聖書の神がいかなるものであるかを問い直すものである。
著者
仲佐 秀雄
出版者
山梨英和学院 山梨英和大学
雑誌
山梨英和短期大学紀要 (ISSN:02862360)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.114-102, 1995-12-10 (Released:2020-07-20)

前号所載の「情報・通信メディアの規制とルール」に引き続き、その各論の一つとして、情報発信の「真実性」確保を採り上げた。この点について新聞では自律的倫理に委ねられているが、放送では「報道は事実をまげないですること」などの法規制があること。過去の誤報事例や最近のオウム報道における捜査中間情報の「確認」のありようなどを通じ、報道組織体の中の「コンプアメーション」のシステムについて検討を行った。
著者
車 勤
出版者
山梨英和学院 山梨英和大学
雑誌
山梨英和大学紀要 (ISSN:1348575X)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.115-127, 2009

「全ビジネスの総サービス業化」が進展する現代。サービスには、顧客の人格的な欲求に応えるように振る舞うという友愛的な面があるが、顧客への犠牲的な人格的隷属を強いるおそれがある。これに対して、サービスを「歓待(ホスピタリティ)」として構築すれば、その行為は、自律した人格が、自律した人格としての他者を心をこめてもてなすことになる。現実の例をリッツカールトンホテルの「紳士淑女をもてなす紳士淑女」という「モットー」に見出せる。現代のビジネス社会の基軸となるシステムは全ての存在(=物質と意味)の商品化であり、それによる存在の単純化の強制である。「歓待」も商品化から免れることはできないが、個々の人々の行為においては、その気持ち(=願望する人間関係)が、商品化の制限を超えることが頻繁に起き、その「習慣化」と拡大は、商品化システムを変質させるかもしれない。商品化という基軸システムから離脱することも(=自己満足と偽善)、それを完全に破壊することも(=むき出しの暴力が基軸化)避けながら、人格的自律と友愛のある社会を育むのに、「歓待」としてのビジネスは、現実的な可能性を感じさせる。
著者
小菅 健一
出版者
山梨英和学院 山梨英和大学
雑誌
山梨英和大学紀要 (ISSN:1348575X)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.27-38, 2012

アニメーション映画と実写映画という視覚芸術、小説という言語芸術のジャンルを超えたユニークな表現活動を繰り広げている、映画監督の押井守の制作・創作の表現原理の問題を解き明かしていくために、押井論の前稿である「《言語映像》と《映像言語》による表現論の結節点ー押井守論の前提としてー」の表現論の考察を踏まえた上で、アニメーション映画・実写映画・小説の三つの領域の存在を確認して、統一した表現原理を措定するために、「押井守」的な表現を実体化する必要性に逢着して、その第一歩として、取り敢えず、同じジャンルに属するアニメーション映画と実写映画に目を向けて、両方を同じ「映画」と捉えることによって展開していく問題の考察と今後の課題を提示した論文である。
著者
武田 武長
出版者
山梨英和学院 山梨英和大学
雑誌
山梨英和短期大学紀要 (ISSN:02862360)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.1-15, 1996-12-10 (Released:2020-07-20)

戦後日本のキ-スト教にとって、克服しなければならない過去、清算しなければならない過去-それも日本のキリスト者にとって特別な最も深刻な過去とは何かを考えることは、いぜんとして根本問題である。これは、その日本のキリスト教の根本問題を、戦時下のドイツのキリスト教との同時代史的な比較をとおして、天皇制とのかかわりで明らかにしようとしたものである。戦後五十一年の今あらためて日本のキリスト教の過去を真攣にふりかえるならば、戦時下におかされたその罪が単に戦争協力という程度のものではなかったことは明らかである。それは、「国民儀礼」という名のもとに天皇教儀礼を受け入れ、神と並べて「天皇」と「皇国」を置いた罪、その実は「天皇」と「皇国」を神の御座の上に置いた偶像礼拝の罪であった。これは日本のキリスト教にとってまことに深刻な過去である。本来は、この過去の克服をぬきにして戦後の日本のキリスト教の再出発はありえなかったはずである。それはキリスト教会についてばかりでなく、キリスト教系学校についても妥当することなのである。
著者
窪内 節子
出版者
山梨英和学院 山梨英和大学
雑誌
山梨英和大学紀要 (ISSN:1348575X)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.17-26, 2023 (Released:2023-05-15)

臨床心理士資格取得者の増加により、臨床心理士の私設心理相談室の増加が予想される。その際に、臨床心理士の仕事は、医療だけでなく、教育、産業、司法、福祉など人間社会全体に関わる仕事として対象領域を広げることが重要と思われる。その実践する場として、まず筆者が運営する私設心理相談室の成り立ちやしつらえ等を紹介した。次に、実践例として、命の維持の選択に関する事例と、犯罪的家庭内騒動の事例の概要を示した。さらに、このような私設心理相談室を運営していくには、経済的基盤確保のためのNPO法人格の取得や、臨床心理士の質向上のための機関創設の必要性とSNSを利用した広報に参入する必要があることを示唆した。
著者
後藤 晶
出版者
山梨英和学院 山梨英和大学
雑誌
山梨英和大学紀要 (ISSN:1348575X)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.32-48, 2013 (Released:2020-07-20)

本論文においては,公共財ゲーム実験(Public Goods Experiments)について,その基本的枠組みおよび先行研究について特に,実験研究に着目して整理する.公共財ゲームとは排除不可能性および非競合性を有する公共財について,ゲーム理論的に記述したものである.協力行動や社会的厚生に関する分析の枠組みとして用いられるものであり,汎用性の高いものである.例えば,自発的貢献メカニズムの解明や経済行動の分析などに用いられてきた.また,様々な学問領域に渡って研究が積み重ねられてきた枠組みである.特に,経済学および心理学領域で積み重ねられてきた実験研究は新古典派経済学が仮定する合理的経済人の行動とは乖離した結果が見られており,新たなモデルの必要性が示唆されている.また,ゲーム理論の枠組みは経済学・心理学的な枠組みのみならず,文化的観点も考慮した新たな人間行動の説明原理となり得ることが示唆されている.
著者
李 尚珍
出版者
山梨英和学院 山梨英和大学
雑誌
山梨英和大学紀要 (ISSN:1348575X)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.51-64, 2009 (Released:2020-07-20)

本稿では、「白樺派」として西洋芸術に心酔していた柳宗悦が朝鮮・東洋芸術への美的関心を転換していく過程について、浅川兄弟との繋がりを中心に考察し、柳と朝鮮伝統芸術との関係をより明確にする。柳は、朝鮮在住の浅川兄弟と出会ったことによって、朝鮮伝統芸術の美に目覚め、工芸品の蒐集活動ならびに窯跡現地調査を通して、現場を見据えた研究方法を見出した。そして、柳と浅川兄弟は、自然と人間にはおのずからそれらにふさわしい場所、すなわち「適地」というものが存在するという<思想>を具体的に実現するために、「朝鮮民族美術館」の設立運動に取り組んだ。さらに、その運動を通して、柳は、木喰仏像の<もの>とその作者・木喰上人の<ひと>に出会い、ここに日本における民芸運動の出発点とその発展可能性を確信した。そこには柳の朝鮮伝統芸術の研究活動において育まれた<偶然と直覚>が民芸運動の要素となり、西洋と東洋を超越する普遍的な美的感覚を織り成していた。最近相次いで韓国の歴史教科書に柳と浅川巧が取り上げられたり、当時「朝鮮民族美術館」の設立運動に好意的な立場であった東亜日報社主催で、韓国初の柳展「文化的記憶-柳宗悦が発見した朝鮮と日本」が開かれたりして、韓国人の強い関心を集めた。このことは朝鮮伝統芸術の研究活動において、柳が東西の区別を越えた普遍的な美観を提供したように、今日の韓国人に昔今の区別を越えた普遍的な美観を形成するきっかけを与えるだろう、と筆者は考える。
著者
仲佐 秀雄
出版者
山梨英和学院 山梨英和大学
雑誌
山梨英和短期大学紀要 (ISSN:02862360)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.148-134, 1994-12-10 (Released:2020-07-20)

電気通信技術の革新と通信・放送の業態変化により、プレスと電気通信メディアの差別、周波数の稀少性、放送と通信の境界などに本質変化が生じている。しかし、現行の情報・通信メディアに対する公規制と倫理コードの構成を、(A)自由原則、(B)主体・業務規制、(C)編集方針規制、(D)通信内容・表現規制、(E)広告規制の5分類の下に整理してみると、放送・通信に関しては、(B)(C)(D)の各分野にわたって、広汎で、かつ本来公権力の関与になじまない公規制が存在し、憲法21条の「一切の表現の自由」の保障を空洞化している面が少なくない。それに伴って、メディア自主規制の内容にも、公規制の排除予防のために機能するよりも、公規制の補充補強に働くものが見られる。公規制・自主規制の今後の指向の一つとして、ユーザー・市民のチャンネル利用、リース、発信などの機会を拡大する方向が考えられる。
著者
野口 康彦
出版者
山梨英和学院 山梨英和大学
雑誌
山梨英和大学紀要 (ISSN:1348575X)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.105-113, 2009 (Released:2020-07-20)

本稿の目的は、大学生におけるデートDVと共依存の関係性について検討するものである。デートDVにおいては、共依存傾向の高い人ほど、その中でも特に女性は、DV被害に遭う可能性が高いのではないのだろうかと考えた。ある私立大学の福祉系学科の大学生に対して質問紙による調査を行い、61名の有効回答を得た。結果として、共依存傾向の高い人ほど、デートのときにパートナーからDVを受けている傾向があることがわかった。さらに、男女別で分けた場合、女性の方がパートナーから暴力的な言動や行為を受けやすいことが明らかになった。
著者
深津 容伸
出版者
山梨英和学院 山梨英和大学
雑誌
山梨英和大学紀要 (ISSN:1348575X)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.A17-A25, 2010 (Released:2020-07-20)

日本にキリスト教プロテスタントによる宣教が開始されてから、150年以上になるが、その特徴の一つとしていえることは、学校、すなわちミッションスクールの設立に力を注いできたことである。現在ミッションスクールは、(沖縄から北海道に至るまで)定着し、根付いている。日本のキリスト教人口が1%に満たない現状を考えると、日本人はキリスト教信仰は退けたが、(そこで行われているキリスト教教育を含めて)教育機関としてのミッションスクールは受け入れたといえるであろう。 山梨英和学院(以下山梨英和)の場合、当時交通の便の悪い内陸の地という悪条件にもかかわらず、山梨の青年キリスト者たちの熱心な働きかけが、カナダメソジスト教会の宣教団体を動かし、設立されるに至った。本稿では、この時の日本の社会状況、日本人側、カナダメソジスト教会の宣教団体側双方の思いを掘り起こすとともに、どのように山梨英和は地域社会に受け入れられてきたか、また、山梨の諸教会との繋がりはいかなるものであったかを探り、ミッションスクールの教育のあり方、とらえ方を論じる。
著者
川口 清泰 川口 清泰
出版者
山梨英和学院 山梨英和大学
雑誌
山梨英和大学紀要 (ISSN:1348575X)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.95-103, 2009

以下は、ハーリー・グランヴィル・バーカー著『シェイクスピア劇への序文』第3巻『ハムレット』(1937年出版)のなかの、3つの項目「ハムレット」、「ハムレットの外観と行動」、「ハムレットとガートルード」の翻訳である。バーカー(1887〜1946)は、イギリスの演出家・俳優であり、彼自身が演出や演技をする上で生じた様々な問題を解こうとしてこの書物を書いた。現在のシェイクスピア学からすれば首をかしげたくなる記述もあろうが、全体としては非常に鋭い指摘に満ちている。決して読みやすい英文ではないが、味のある文章である。以下の翻訳では、ハムレットが周囲の人物との関係を悪化させていく過程が描かれる。
著者
車 勤
出版者
山梨英和学院 山梨英和大学
雑誌
山梨英和大学紀要 (ISSN:1348575X)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.A95-A108, 2011 (Released:2020-07-20)

普遍的に実効力のある倫理は、現代社会に固有な形態である「貨幣・商品社会システム」を根拠にしなければならない。そのシステムの原型を描いたアダム・スミスに、「構成関係」から社会をとらえたスピノザを重ね合わせ、取りだしたのが「互恵交換」の倫理である。その構成要素は以下の6つ。1.人々の対等性、2.恵みを構成関係者全体で享受する、3.与え返される程度に与える、4.人を騙さず、期限などの約束を守る、5.説明責任、6.離脱する自由。これらを社会形成原理として徹底的に実現すること。それはまた、理性の平和的な使用〜略奪目的でも飼育目的でもない〜になる。
著者
戸田 勉
出版者
山梨英和学院 山梨英和大学
雑誌
山梨英和短期大学紀要 (ISSN:02862360)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.47-57, 1992-12-10 (Released:2020-07-20)

本稿は、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』第二挿話「セイレーン」における技法「カノン形式のフーガ」の一側面を考察したものである。これまでこの技法に関して繰り広げられてきたさまざまな議論を踏まえつつ、フーガ形式の模倣反復という特質を「逃走」と「追跡」という動きに還元し、その観点から挿話全体の構成を分析した。一では、人物の外面的な動きを中心に考察し、ブルームにとってセイレーンとは誰(何)かについて探った。二ではーブルームの内面的な動きを追い、セイレーンの本当の姿について検討を加えた。三では、「丸刈り組」という曲とフルームの関係から、別な種類のセイレーンの正体を突きとめ、この挿話のもう一つの主題について考えた。
著者
森本 光彦
出版者
山梨英和学院 山梨英和大学
雑誌
山梨英和大学紀要 (ISSN:1348575X)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.A1-A15, 2010 (Released:2020-07-20)

IT化の目覚ましい進展により世界の新聞メディアは電子新聞の登場などで紙の媒体としてのあり方に大きな変革を迫られつつある。逆境の中にあるという点では共通しているものの、経営の悪化から身売りや廃刊が目立つ米欧の新聞に対し、日本の新聞はやや事情を異にする。日本の場合、広告費収入より購読費収入の方が大きい。しかも高い宅配率に支えられているため販売部数の急激な落ち込みが避けられており、米欧のような急速な経営悪化を免れている。米欧主要紙では電子媒体を通じて「ネット購読」を有料とする課金化の動きが目立つのに対し、そこまで経営が悪化していない日本の全国紙の場合、将来を見越した対応には各社間での開きが目立つ。本稿では、米欧の新聞と比較しながら日本の新聞を取り巻く環境の変化と現状を見、その上で今後生き残るための諸条件について考察する。