著者
李 知映
出版者
文化資源学会
雑誌
文化資源学 (ISSN:18807232)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.21-33, 2017 (Released:2018-07-11)
参考文献数
19

1930年代の朝鮮における演劇活動は、日本の植民地統治期間であったにもかかわらず、戯曲の創作、演劇批評、そして公演活動が、それまでのどの時期よりも活発な活動を見せていた。活発な演劇活動を支えていたのは、如何なる要因であったのか。本論文では、その内最も大きな要因として、朝鮮総督府の手によって京城に設置(1935年12月10日開館)された「府民館(ブミンゴァン)(부민관)」に着目する。そしてとりわけ、主に「府民館」で公演を行なっていた劇団の一つである「劇芸術研究会(グゲスルヨングへ)(극예술연구회)」(以下、「劇研」)の演劇活動の考察を通じて、「府民館」と当時の朝鮮演劇界の関係性について明らかにすることを、本論文の目的とする。「劇研」の演劇活動は、第1期から第3期までに分けられるが、特に、第2期の主な活動は「府民館」にて行なわれた。「劇研」の方針は「翻訳劇中心論」と「小劇場優先論」に立脚していた第1期活動から、第2期活動での「観客本位」、「演劇専門劇団化」、「リアリズムを基盤とするロマンチシズム」の開拓などに主軸をおくという変化を見せる。その活動方針の変化の中心には、柳致眞(ユチジン)(유치진)という人物が大きく関わっていた。しかしそれだけではなく「劇研」の活動方針の変化を助長した要因、言いかえれば、活動方針の変化の前提になった大きな要因として、「府民館」が存在したのである。当時「府民館」の存在があってこそ、「劇研」の活動を通じて、柳致眞(ユチジン)の「観客本位論」を劇場という場で試すことが可能になった。また、大劇場での公演に適合する劇作技法と公演様式、そして演技方法に関する工夫と、その実践が可能となった。こうした「劇研」の「府民館」での活動を反映して、当時の演劇界にはさらなる動きが起こった。演劇や演技について生まれた新たな思想が、「府民館」の動きと競い合うようにして、当時の演劇界を盛り立てたのである。