著者
村田 奈津江
出版者
佛教大学社会学研究会
雑誌
佛大社会学 (ISSN:03859592)
巻号頁・発行日
no.45, pp.13-25, 2021-03-20

わが国の戦後の看護教育は,GHQ占領下において看護婦1)の身分や質の向上がはかられた。1952(昭和27)年には高知女子大学でわが国初の大学教育が開始となる。しかしその後の大学教育は進まず,1991(平成3)年まではわずか11校に過ぎなかった。その一方で高度経済成長期に入ると看護高等教育は私立女子短期大学で発展した。それは急速な経済成長に伴う社会変化により看護婦不足が生じたためである。その対策として,短期間での養成が求められ高等学校での養成も始まった。1990年代に入ると高齢化社会に伴う看護人材の需要や大学創設の規制緩和によって看護系大学数は急増していった。その後,大学看護教育に新たな問題が生じ,看護の本質を目指した大学教育であったが,私立大学の生き残りをかけた大学経営の一環となっている。また,看護界も学士ナースが増えることこそが看護の質の向上であると捉えているように思われる。看護大学看護教育女子教育大学教育大学政策