著者
松坂 文憲
出版者
岩手大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
岩手大学大学院人文社会科学研究科研究紀要
巻号頁・発行日
no.19, pp.39-56, 2010-06

不登校状態は,児童生徒個人と環境との相互作用から生じた欲求不和を処理する過程において,欲求不和の表現の一形態として生起するものであり,個人の心身の健康や成長,所属する家族・学級・学校・地域社会等に不利益をもたらす"問題"として捉えられている。現在,不登校人口は平成10年度より12万人以上の数を推移しており(文部科学省,2008),社会問題としての様相を色濃くする中で様々な立場の人々によって問題解決の営みが行われるようになった。とりわけ1980年代後半,フリースクール的立場より,不登校を一つの人生選択,生き方として積極的に肯定する主張がなされてからは,文部科学省による認識転換が起こるなどし(貴戸,2004),「不登校は問題か否か」という,個々の不登校事例から分離した水準の不登校問題へと移行したと考えられる。貴戸(2004)は,そのような不登校の肯定・否定に関わる論争の過熱化は"不登校は問題である"との認識だけを反復し,不登校の当事者に対する否定的評価として還元される問題意識や危機感を再生産する土壌となっている点を指摘している。不登校が本人の問題から,学校制度の問題,家族関係の問題,社会構造の問題・・・と問題の所在を拡大させていく中で,不登校という行為の主体者である本人は,行為主体であるが故にいずれの問題をも自身の中に引き入れ,自己評価を低下させる材料に変えてしまうリスクを抱える存在であると考えられる。そのような児童生徒本人の視点に立つならば,著しい身体的・精神的変化を伴う発達段階において,自己評価の低下や生活リズムの崩れなどにより心身の安定性を欠き,その中で不登校状態の原因となる環境との相互作用関係を客観的に捉えることは困難であるため,その時点における本人の力のみでは事態の解決は望めないのである。