著者
松村 文照
出版者
順天堂医学会
雑誌
順天堂医学 (ISSN:00226769)
巻号頁・発行日
vol.23, no.3, pp.385-396, 1977-09-10 (Released:2014-11-22)
参考文献数
39

強迫現象に関する先人の業積をたどってみるとき, 多くの研究が個人の心理ないし身近な対人関係だけを論拠としていることがわかる. 人間をとりかこむ社会文化的環境との関係を論じたものは多くはない. また, 一般人をいわゆる正常者として評価し, それにくらべて異常者としての強迫症患者をこれに対置しているものが多い. そのため, 強迫症患者の治療目標は, かれらを一般人と同一化することと考えられがちである. 一般人を無垢の白地とみなし, そこに強迫症患者の影を黒く映しだしているといえる. ところが, 実は一般人自体がすでに必ずしも自地ではなく, 灰色に汚れた部分をもっている. そのような灰色に病んだ地に患者の姿を映し, 一般人と患者の双方の“やま”の相互関係をみつめる試みのなかで, 筆者は強迫現象と社会・文化的環境との関係を考えようとした. 社会に生きる一般人は, 日常生活の規範のかなりの部分を常識に仰いでいる. 日常の生活にとって, 常識は水や空気のごとく不可欠な心の糧である. 一方, 強迫症患者を詳しく観察すると, 独特な常識不適応の様相のみられることが少なくない. そこで常識の特性から出発して, さらに強迫現象と常識との関係についての考察を以下に進めてみたい.