著者
柳園 順子
出版者
鹿児島純心女子大学看護栄養学部
雑誌
鹿児島純心女子大学看護栄養学部紀要 = Bulletin of Faculty of Nursing and Nutrition, Kagoshima Immaculate Heart University (ISSN:13484303)
巻号頁・発行日
no.26, pp.41-47, 2022-03

占領下の日本の学校教育における保健教育の実施には,教育の基本政策に対するGHQやアメリカ教育視察団報告書の指摘の存在があった。1947年4月第一次アメリカ教育使節団報告書で「保健の教授は(中略)生理についても衛生についてもなんの教授も行われていない」と指摘されたことで,学校衛生は戦後指導要領によって組織活動が重視される新しい学校保健へと出発する。GHQの助言により文部省は体育局を中心に「学校の要望に応える」と謳い中等学校保健計画実施要領(試案)を編纂するが,この中の「成熟期への到達」については,学校現場の無理解な批判にあったとして占領解放後に改訂されている。本稿は,戦後早い段階で性に関する内容の指導が示されたにもかかわらず後に後退する要因を当時の資料を基に明らかにし,保健教育において何が包摂され排除されていくのかを検討した。