- 著者
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柴田 恭子
- 出版者
- 日本スラヴ・東欧学会
- 雑誌
- Japanese Slavic and East European studies (ISSN:03891186)
- 巻号頁・発行日
- vol.31, pp.35-80, 2011-03-31
2001年春に発足し、2007年に議席を失った民族主義政党、ポーランド家族連盟(Liga Polskich Rodzin;LPR)は、戦前のポーランドにおいて勢力を誇った社会運動および政党である「国民民主主義(Narodowa Demokracja;ND)」党の、現代における直接の政治的後継者である。戦間期ポーランドの独立運動を先導し、また民族の同質化・均質化を目指したことで知られるこの国民民主主義党は、ポーランド民族主義の伝統における一系譜であり、今日、欧州連合加盟に伴う政治・社会変動過程の中でLPRという形をとって再興され、2006年から連立政権の一端を担うに至ったのである。EUの理念および運営への真っ向からの反対を鮮明にしたLPRは、立法過程、またメディアを含めた公共の場において、少数民族、移民、性的少数者、女性等「他者」を排除する言葉を発し続けた。本稿は、そのうち「民族的」他者への差別言説に焦点を当て、次の問いを念頭に分析を行う。1)LPRは、現代ポーランドが置かれた社会状況・地政学的位置に対応するため、過去の民族主義イデオロギーを変容させたか。2)政界進出の際、同党は差別の対象となる人々、また差別に用いる言語を変えているか。3)現代ヨーロッパの社会的文脈における、LPRの差別言説の特徴とは何か。分析手法には、言語・社会・権力(支配)間の相互関係を考察する「批判的言説分析」(critical discourse analysis;CDA)、特にルース・ヴォダックの提唱する「歴史的言説分析」(discourse-historical approach)の方法を採用し、社会史的な文脈を踏まえた差別言語の考察を試みる。分析の結果、以下のことが明らかとなる。まず、研究枠の前期(2001年4月-2004年6月)において、LPR政治家は、在米ユダヤ系ポーランド人、J.T.グロスによる『隣人』の出版を契機に、主にユダヤ人を対象とする激しい批判を展開した。過去にポーランド民族に害を及ぼし、さらにポーランドの名を損なう「忌むべき存在」、つまり歴史的に根付く民族の他者としてユダヤ人を差別したのである。後期(2004年7月-2007年10月)では対照的に、この反ユダヤ主義が公の場で強く否定される。LPRの政治家は、ポーランド人の少数民族に対する寛容さを主張しながら、世論を反映し、戦前における国民民主主義党の反ユダヤ主義は批判されるべきであると認めた。一方で、EU加盟に伴い流入が予測されるイスラム圏からの移民を、その生殖・イデオロギー上の潜在力をもってポーランド人を脅かす存在と規定するようになった。また同党は一貫してポーランドにおける少数民族・エスニシティの権利を否定し続け、国会討論では、民族の「秩序」の名の下に、少数派の存在を取るに足らぬものと等閑視した。政治の舞台で生き残るため、LPRは国民民主主義党のイデオロギーを修正・補足しつつ、「ポーランド民族」にとっての「他者」を差別した。その言説は、ヨーロッパ統合を進める現代ポーランド社会において、幾重にも織りなす「民族」の歴史に育まれた政治文化の、特異な力学の一端を示すものであった。