著者
根山 梓
出版者
大学美術教育学会
雑誌
美術教育学研究 (ISSN:24332038)
巻号頁・発行日
vol.49, no.1, pp.281-288, 2017 (Released:2018-03-31)
参考文献数
37

本稿は繁野三郎(1894–1986)の図画教育に注目し,自由画運動が北海道の小学校教師に与えた影響について報告し,考察するものである。繁野は大正4年(1915)に札幌師範学校を卒業後,大正9年(1920)まで栗山尋常高等小学校(現在の夕張郡栗山町内)に勤務し,その後昭和5年(1930)まで札幌北九条尋常高等小学校に勤務した。大正5年(1916)から翌年にかけて繁野が教育雑誌に投稿した「現代的毛筆画帖取扱案」と,教育雑誌が伝える昭和2年(1927)の繁野による図画の研究授業,同年に札幌市役所から発行された『図画教育の理論と実際』における繁野の執筆箇所を分析した結果,資料に示される繁野の考え方が二つの時期において異なることが確認された。約10年間の繁野の取り組みを探るなかで大正後期に発行された『北海タイムス』を調査した結果,繁野の勤務校をはじめとする札幌市内の学校が自由画展覧会に熱心に応募していたことが確認された。
著者
根山 梓
出版者
大学美術教育学会
雑誌
美術教育学研究 (ISSN:24332038)
巻号頁・発行日
vol.50, no.1, pp.265-272, 2018 (Released:2019-03-31)
参考文献数
24

本論文は,現在の北海道新聞社の前身である北海タイムス社が発行した『北海タイムス』に掲載される記事に基づき,大正10年(1921)における同社による自由画教育に関する取り組みを明らかにするものである。北海タイムス社で美術部員であった澤枝重雄は,大正10年のはじめ頃に紙上で「自由画私見」を発表し,7月から紙上で児童自由画の講評を行うことをはじめ,11月に同社がはじめて主催した児童自由画展覧会においては,札幌の小学校教員とともに講演を行い,展示作品の講評を行うなど,中心的な役割を担った。大正10年に紙上に掲載される図画教育に関する一連の記事からは,当時,澤枝が図画教育に対する小学校教員の意識に働きかけることを重視し,札幌の小学校教員との関わりのなかで,指導者としての立場で発言していたこと,また,当時,札幌の小学校教育現場において,自由画教育に対する関心が高まっていたことが確認される。