著者
梁木 靖弘
出版者
九州大谷短期大学
雑誌
九州大谷研究紀要 (ISSN:02864282)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.206-186, 2003-03-05

革命以前のロシアを代表する女優のひとり,ヴェラ・コミッサルジェーフスカヤVera Fyodorovna Kommissarzhevskaya(1864〜1910)の主宰する劇団に演出家として雇われたフセーヴォロド・メイエルホリドVsevolod Emilievich Meyerhold(1874〜1943?)は,1907年のシーズンが終わったあと,コミッサルジェーフスカヤから一通の手紙を受け取る。それはロシア演劇史上名高い絶縁状である。「フセーヴォロド・エミーリエヴィッチ!この数日,わたしはずっと考えつづけてきました。そして,わたしとあなたは演劇を全く異なった目で見ていることや,あなたが探しているものは,わたしが探しているものではないことなどを悟りました『愛の喜劇』(1907年1月)や『死の勝利』(1907年11月)では,あなたは「古い」演劇の原則と,あやつり人形劇(マリオネット)の原則を統合させることに成功しました。しかし,それ以外の作品であなたが通ってきた道は,人形劇への道なのです」。この手紙は単なる絶縁状というだけではなく,「古い」演劇の側に立った女優の目に映る,メイエルホリドという,異質な新しい演劇の担い手の特徴をいい当ててもいる。才能ある女優の直感は,自分の依拠する演劇とは異質の演劇理念を「あやつり人形劇(マリオネット)」と否定することによって,逆に20世紀演劇にあらわになったある側面を予告している。演劇の人形劇化,あるいは人形劇の侵入は,19世紀から20世紀にかけてさまざまな局面で見られる現象であり,演出家の時代と呼ばれる20世紀の舞台を考える上で,避けては通れない基本的な問題を投げかけていると思われる。もちろん,人形劇は古くから舞台のジャンルとして存在しつづけてきたわけであるが,19世紀末から20世紀の初頭にかけて,俳優が演じる舞台と交錯することになる。ロシアのメイエルホリドばかりでなく,同時代人でもあり,現代演劇の鼻祖と目されるフランスのアルフレッド・ジャリAlfred Jarry(1873〜!907)の「ユビュ王」は,もともと人形劇として考えられたものであり,それを生身の人間が演じるところに,今日的な,暴力的な表現がうまれてきた。さらに,20世紀のバレエを切りひらいたロシアのセルゲイ・ディアギレフSergel Pavlovich Diaghilev(1872〜1929)が主宰するバレエ・リュッスの代表作に,ロシアの民衆的人形劇をバレエ化した「ペトルーシュカ」がある。それを演じたのが伝説のダンサー,ワスラフ・ニジンスキーVaslaw Fomitch Nijinsky(1888〜1950)である。生身の人間が演じる舞台に,なぜ人形が,暴力的とも思える侵入をしたのだろうか。あるいは,19世紀末パリに誕生し,半世紀ほど存在することになる怪奇劇専門の劇場は「グラン・ギニョルGrand-Guignol」(大きな人形)と名づけられ,フランス語で一般名詞化するほど知られるようになる。さらに,演出家という職能の基礎を確立したエドワード・ゴードン・クレイグEdward Henry Gordon Craig(1872〜1966)の「超人形説」と呼ばれる俳優論。それが,なぜ20世紀演劇を予告することになったのだろうか。このなかのいくつかの例をとりあげることによって,その現象の意味するところへ考察の糸口をつけようというのが,本稿の目的である。